英語の文章を読むとき、頭の中で翻訳しながら読むのと、英語のまま理解していくのと、どちらがよいのでしょうか?
この質問をたくさんいただきました。別のFAQでも似たことを書いたかもしれないのですが、基本的に「翻訳」というのは不完全なものです。「かなり近い別 バージョン」と言ってもいいかもしれません。何かを翻訳して読むということは、あらすじを読むのに近いと言ってもいいかもしれません。もちろんその点を補完してあまりある優れた翻訳も存在するのは事実ですが、それはむしろ貴重な例だと言ってもよいでしょう。
例えば、こんな文があったとします。
She is expecting a baby.
これを辞書を頼りに訳すとなると、expectはほとんどの辞書で「期待する」となっていますので、「彼女は赤ちゃんを期待している」となります。
この英文の訳としては確かに間違いではないかもしれません。意味もあっていますし、だいたいの状況も理解できます。ただ、違うものがひとつあります。
それは「期待する」強さです。
実は前者の英文の方では女性はおそらくすでに妊娠していて、ほぼ確実に近い将来出産することが分かっています。しかし、後者の方の日本文は妊娠している可能性はあるものの、漠然と赤ちゃんが欲しいと思っている事実を告げているに過ぎません。これを大きな差ととるか、微細な差ととるかは人によると思いますが、こういったニュアンスを汲み取れば英語、ひいては英語圏の人間のことをより深く理解できるのは確かです。
(上の事例で違うのはexpectという単語はただ「期待する」という意味ではなく、「(当然くるであろうものを)期待する」という意味合いが含まれていることです。英語の「期待する」でもう少し弱いバージョン――日本語に近いバージョンはlook forward toなどがあります。)
これはほんのひとつの事例ですが、前に翻訳についてのFAQでも書いたように、和訳は英文の意味の最大公約数的なものをとっただけで「正解」ではありません。英文と日本文はちょうどバターとマーガリン、カレーパンとピロシキ、マックとウィンドウズのように、「似て非なるもの」であり、本当に作者が意図したものを読みとろうとするなら、やはり英語のまま汲み取るしかありません。
「だからそのニュアンスはどうやって分かればいいんだ!?」という声が今、聞こえてきたような気がしました。そうですよね、そこが確かに難しいです。確かにそういう違いを一覧にしている本などもあるといえばあるのですが、それを上から読んでいくというのは雑学としては面白くても、知識として身になるかというとそうでもありません。やはり「expect」が「(当然くるであろうものを)期待する」という単語であることを感じ取るにはたくさん本を読んで、いろんなexpectの使い方を知って、さらにはそれがlook forward toとどう使い分けられているかに気がつけば、ある瞬間、ふとexpectとlook forward toを頭の中で使い分けている自分がいることに気がつきます。
それが「ニュアンスを感じる」ということであって、決して単語レベルで違いを分析してノートにまとめることではありません。順番が逆です。ぼくも、実はさっき例文を考えている段階ではじめてこの二つの違いを頭の中で整理できました。「違うけど、どう違うだろう?」と考えて、頭の中でいろんな例文を考えて、自分がどうその二つを使い分けているかにはじめて気がつきました。「ニュアンス」は特殊な知識ではなく、「無意識の知識」のことです。それを意識的に身につける方法は残念ながらありません。たくさんの練習量だけがもたらすボーナス特典のようなものです。
野球でバッティングフォームをよくしようと思ったら、ビデオで理想の打者を研究するより、ものすごい量 の素振りをこなす方が効率的で一旦憶えたら忘れません。英語でも、とにかくいっぱい英語を読むしかありません。
英文はやはり英文として読まれるために存在します。作者も訳されて読まれる可能性を考えて書いてはいません。もしあなたが大事な話を――例えば愛の告白を――通訳を介して大切な人に伝えることになったら、きっとちゃんと伝わっているかどうか、正確に伝わっているかどうか、不安になると思います。英語を訳して読むというのは、その通訳が頭の中に居座り続けることであり、そんなややこしいものが住み着くと読書がつまらなくなるので、ぜひ追っ払ってしまいましょう。
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