絵の具で描かれた優しい絵の表紙と、やわらかい手触りのページ。楽しみにしていた本がやっと手に届いた。タイトルは「ねこはいじん」。スタジオの読者の皆様には「ビッグ・ファット・キャットシリーズ」「ねこうた」そして(無断転載中の)「なまけもん」などでおなじみのたかしまてつを@たかさんの最新作である。
たかさんとしては四コマ漫画ではない、初のフルページのコミックスで、二年間「小説 野性時代」に掲載されたものに大幅な加筆修正を加えた完全版となっている。——何を隠そう、ぼくは連載時に「ねこはいじん」をまったく読んでいない(たかさん、ごめん!)。そのため、今回本が届くまで、この本の中身はまったくと言っていいほど知らなかった。
たかさんのサイトで見かけた情報によると、「拾った仔猫に魅せられて、どんどん夢中になっていくおじさんの話」だと書いてあった。約一名、この説明に極めて合致する人間をぼくはよく知っている。この男だ。
そう、たかしまてつを本人である。かつては犬派を名乗り、BFCシリーズの時には猫の動きをあまり見たことがないというので、わざわざみんなで二子玉の猫園に大量の猫を抱きに行くという、前代未聞の取材を一緒に行ったにも関わらず、その後、拾った仔猫の里親になり、正気を疑うほど猫を溺愛して、専用サイトを立ち上げ、ついにそのサイトから二冊も写真集を出した正真正銘の「猫廃人」だ。
それで一瞬の迷いもなく、たかさんに聞いた。
「これ、ドキュメント漫画だよね?」
「ううん」たかさんは飄々と答えた。「フィクションだよ」
「だって、これナロだよね」と、サイトに載っている絵を指差してさらに尋ねる。しかし、たかさんは当たり前に首を振って、言い切った。
「違うよ。別猫だよ。ほら、黒いし。ナロ、黒くないもん」
その会話から一年半。
やっとうちに届いた「ねこはいじん」を、箱を開けて三十分後には読破していた。大変読み心地のいい、ほんわかしたたかさんワールドかと思いきや、ぼくが大好きな「モゲールに咲く花」にも通じる「シュールたかしま」の流れを組む作品でもあった。特に一枚、夢に出てきそうな脳裏に焼き付く場面があり、おそらく本書を読んだすべての人間はぼくがどのページのことを言っているか、わざわざそのページ数を書かなくても分かると思うくらいだ。なんにしても、楽しい時間だった。
しかし、読み終えたぼくの頭には大変な疑問が残った。
「フィクションだよ」
このたかさんの言葉が幽霊屋敷で聞こえる亡霊の声のように、読んでいる間中、ずっと頭の中で鳴り響いていた。
ぼくは曲がりなりにもたかしまてつをを十三年間知っている。お互いの家は歩いて十分のところにあって、一ヶ月に数回は一緒にご飯を食べているし、今まで八冊の本も一緒に作った。なぜか一切なついてもらえないが、飼い猫のナロとも恒常的な面識がある。
どうにもその「フィクション」の話を読んでいる最中、やたらとデジャブを覚えるのである。どこかで見たような、どこかで聞いたような光景を何度も目にするのだ。たかさんにもう一度「ドキュメントだよね」と聞いたが、「フィクションだよ」とあくまでたかさんは言い張った。
そこでちょっと検証してみたいと思う。
まず、ねこはいじんのこの主人公「おじさん」を見て欲しい。
当サイトを訪れた経験のある皆様なら、どこかで見たことがある気がしないだろうか。たかさんがやはり「フィクション」と言い張る、この作品の
これに酷似しているような気がする。前々からぼくはこの漫画も限りなくノンフィクションだと疑っているが、本人は「全然ちがうよー」と惚けているので、さらにこれを見て欲しい。
たかさんの名刺に載っている自画像である。明らかに同一人物だと思うのだが、たかさんに問い詰めてみると、たかさんは首を横に振った。
「違うよ。だって、ほら帽子が」
なるほど、確かにこの点は認めざるを得ない。
では、この猫の方を見てみよう。これが「ねこはいじん」に出てくる黒猫である。
名前は「マロ」。
そして、こちらはたかさんのサイトに掲載されている愛猫のイラスト。
名前は「ナロ」。
どっちの猫の名前も英語表記で書いてみよう。
・MARO
・NARO
どう考えても、棒を一本足しただけである。
実際、帯でナロ自身がこのように語っている。
さらには、「ねこはいじん」に出てくるこの人も、
この人も、
この人も、
やけに見覚えがある気がする。
特にこの人
に関しては、なんだか数百回ぐらい会っているような気がする。つい先日も味噌だれをつけたちくわぶと、やたらとおいしい豚肉の角煮をごちそうになった気がしてならない。
しかも22ページにあるこのシーン。
この時、ぼくはこの位置に座っていたような気がする。
もしかしてぼくの思い違いなのかもしれない。「ねこはいじん」の世界がとても心地がいいので、いつの間にか自分もその世界に引き込まれていた可能性も否定できない。しかし、それでも敢えてもう一回たかさんに聞いてみた。
「いや、全部ほんとでしょ?」
それでもたかさんはちょっと視線を背けながら言った。「フィクションだってば。ꋧ <´ `」
ということなので、皆さんにもぜひその目で確かめて欲しい。参考までに、読んでいる最中にぼくがデジャブを起こしたポイントを下に列挙しておいた。ぜひ、読み終わったら意見をもらえたらと思っている。それを携えて、もう一度たかさんを追求してみようと思う。
とにかくそれまでに何度か「ねこはいじん」をさらに検証してみるつもりだ。もしかしたらただ読み返したいだけかもしれないが、やはり真実の探求は大事だと思うのだ。
なあ、ナロ?
<向山貴彦>
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【デジャブポイント一覧】
p4 どうもこの椅子がたかさん愛用のアーロンチェアに酷似している気がしてならない。(出会った当初、たかさんは四畳半の和室のアパートにこの椅子を置いていたので、異様な光景だった。)
p5 現実のたかさんはやかんでお湯をわかすことはできないので、ここはフィクションである可能性が高い。
p20 この夢はよほど怖かったのか、今でも時々話に出てくる。
p23 このページの出来事は一回だけのことではなく、数年間に亘り、ほぼ毎日行われている。
p33 たかさんからのメールはたいてい最大で五行である。
p39 ある日、たかさんの家に言ったらたかさんが珍しく落ち込んでいたので、「どうしたの?」と聞いたら、真剣な表情でたかさんは「猫がねじになって……」と意味が分からないことを言っていたので、ついに完全に壊れたのかと思っていたが、このページを読んで初めて意味が分かった。
p41 この行為はネコ科の猫蔵に「キモイ」と大変不評である。
p49 この経験は実際かなり長くたかさんのトラウマになっていた。
p65 ある日、いきなり車を買った理由もこれで初めて知った。
p70 ペル岩さんは架空の人物だとたかさんは言っていたが、ぼくには明確にこの人ではないかと疑っている知り合いがいる。
p77 このインタビューなどを読むと、この句はたかさんの人生のタイトルでもいいと思う。
p87 この電話の相手はぼくではないかと勘ぐっている。
p98 ここの表現はかなりマイルドに調整されている気がする。実際には正気を失いかけていた。
p99 この出来事の前後、たかさんは玄関を開けると、「早く閉めて!閉めて!」と異常に焦っていた覚えがある。
p106-107 すでに気が付いていると思うが、ここのことである。
p121 この話は間接的にしか聞いていないが「冷たくなった命の重み」について話す時のたかさんはすごく優しい目をしていた。122pの句のようなシーンをぼくは何度か見たことがある。そういう時のたかさんは誰よりも真摯に手を合わせる。どのページよりも、ここが一番ノンフィクションに思えた。たかさんというのはそういう人なのだ。