パイポ

カレーにまつわる都市伝説

ある日、スーパーへ出かけた。

すでに夜のメニューは頭になった。カレーである。だが、いつもとはひと味違う。

今日は本気のカレーだ。そういう気持ちだった。

そもそも、一人暮らしだとそれほど力の入った料理は作らない。(あくまで私の場合)

カレーにしても、具材を放り込み、手頃なルーを入れて完成だ。十分食べられるし、炒める時間すら省略することもある。でも、時々は自分用のいい加減なカレーではなく、家族がいた頃に作っていた「本気カレー」を制作し、全力で味わいたいと思う。この日がたまたま、そういう日だった。

本気カレーは、まず薄切りの牛肉だ。別にアメリカ産とか、オーストラリア産とかでいい。こんなところで和牛にこだわらない。それが自分ルール。

野菜はじゃがいも、にんじん。タマネギはみじん切りをたくさん入れたいから、多めに買う。とは言え最近は、すでに炒めたたまねぎペーストを販売していることもあるから、そちらを使っても良い。

あとは……と、ここで場所移動。カレーの材料とは思えないが、フルーツを見に行く。バナナの束が安かったから、カゴへ。それから……と、キウイを一つ。え? カレーだよね? と、思ったあなた。我が家のカレーはこれが隠し味。バナナ一本と、キウイ一個の皮を剥き、野菜を煮るタイミングで一緒に入れて、形がなくなるまで火を通す。そんなの入れるの? とけっこう驚かれるけど、うそだと思って試して欲しい。辛さはあるのに、フルーティな味わいのカレーができあがる。できればはちみつも大さじ2くらい入れると、なお美味しい。

さて、材料は揃った。レジへ向かおうとして、一旦逡巡。カレールー、あったよな……?

記憶を辿ると、前回使ったやつが半分残っているはず。冷蔵庫にも、使い差しがちょっとあった。うん。1回分はあるな——と、思ってから考え直した。

昭和の時代、どういうわけかカレールーは「二種類混ぜると美味しい」という都市伝説みたいなものがはびこっていた。特にどれとどれ、という規定はなく、とにかく複数入れるのがキモなのだとのことだった。私も、実際その方が美味しいような気がしていた。(※現在はルーの箱の表示通りに作るのがいちばん美味しいという説も濃厚である)三つ子の魂百まで。本気カレーを作るために、私は最終的にカレールーを一つカゴに入れた。私が選ぶのは、たいてい緑色をした中辛の箱だ。甘口の赤箱、辛口の黄箱にもそそられはするが、ここは保守派で。用意は万全。

そういえば緑・赤・黄色って信号機カラーだよな。でも赤が甘口って変じゃない? そもそも危険を示す色じゃないの??

などと、どうでもいいことを考えながら会計。即帰宅し、カレー作りを始めようとした時。

ルーの複数混ぜのため、引き出しに入っていた残りのカレールーと、冷蔵庫のかけらのカレールーと、今日買ってきたカレールーを出してみた。

全部同じ、こ○まろであった。

Happy Valentine!

寒い日が続いております。バレンタインです。

嬉しいことに今年も「五倉山」宛てにチョコレートを下さった方がいらっしゃいまして……

お気持ちも、五倉山への想いも、届いております。ありがとうございます。

こちらからも何かできれば……と思ったので、ほんの少しだけ。

あの話の幻の第六話。

「五倉山」以外のところで起きていた、不思議な関係を描いたプロローグをお届け致します。数ページですが、お楽しみ頂けたらと思います。

みなさまへ、ハッピーバレンタイン!!

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ほたるの群れ 6 「退(すさる)」プロローグ 作:向山貴彦

※印刷してお読みになる場合は、下にある見開き用をご使用下さい。

なんとかなる受験の話

前回の更新からたったの数日。

中学入試の世界では、様々なドラマが生まれ、そしてもう少しで終わりを迎えようとしています。

都内の中学受験事情をあまりご存じでない方に、少しご説明しておくと、東京都の中学受験は2月1日に始まり、午前入試、午後入試など様々な学校を組み合わせて、数日間連続で受け続けます。合否は当日の夕方以降か、翌日などに即発表されることが多く、ただでさえ試験の疲れでフラフラになっている生徒が、初日の心の動揺をそのまま二日目に引きずってしまって、偏差値的には絶対受かる学校で×だったとか、様々なことが起きます。

日数の開きがちな大学入試とはまた違った感覚ですし、年齢的にも小学六年生、まだまだ動揺しがちな時期です。本番が不安で泣いてしまったり、家族で意見が合わずもめてしまったり、いろいろあります。でも、みんな子供なりに戦ってきています。そういう子は、たった数日の間にすごく成長して、別人のようになっていたりします。

そんな中学入試とはちょっと違うかもしれませんが、これから私立の大学受験が本格化してきます。そこに合わせて、本日は向山コラムから、こちらをご紹介致します。前回と合わせて読んで頂けると、さらにお楽しみ頂けるかもしれません。

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終わらない世界と受験の話 文:向山貴彦

受験中のみなさん、忙しい時に読んでくれてありがとう。

ぼくはいろんな事情により、大学受験は普通の人よりも四、五年遅れてやりました。おまけに一浪もしているので、けっきょく同世代の人が卒業する頃に入学することになって、同級生もみんな五つ下の妹と同い年か、それ以下だったので、かなり浮いた受験生でした。どこの受験会場でも必ず学生バイトと間違えられたりして、おまけに不動産屋で物件紹介してもらう時に偽学生だと間違えられて、わざわざ問い合わせの電話をかけられたりもしました。

だからなのか、その時期ってのはけっこう良く記憶に残っています。
遅ればせながら大学受験することになり、はじめて一人で上京したのですが、一年目はあえなく玉砕。かすりもしませんでした。しばし日本の教育システムを離れていたせいか、「けっこう受かるんじゃないか」ぐらいに軽く考えていたのですが、いやー、忘れてました。日本の受験が世界一シビアなのを。

ぼくは選択教科は世界史だったのですが、一年目に受験した時は答えはおろか、問題の意味が分からないものだらけで、答案が配られた時にはしばし茫然としてました。周りからはカリカリ何か書いている音がするし、「コーヒー豆の伝来を通して、インド史を語れ」みたいな何を言っているのかよく分からない問題に、みんなこんなに答えられるものなのかと、もうそれだけでびびってしまい、その後の数時間、何をしていたのかも良く憶えていません。
なんとか小論文で挽回しようとはりきったのはいいのですが、「ペース配分」ということをまったく知らなかったので、しなくてもいいのに、いつもの癖でネタを最初にだめだしして、ねりなおして、構成を考えていたら、数行書く前に試験が終わってしまいました。

というわけで一年間は東京で浪人生活を送りました。当時東京に住んでいる知り合いは皆無で、唯一横浜に住んでいたフライング(面倒なので説明ははぶきますが、スタジオのスタッフで、中学時代に「空を舞った」ことがあるので、こういう名前になった男です)ぐらいしか遊び相手もなく、彼も仕事が忙しかったので、まあ一月に一回も顔を合わせれば多い方でした。だから一年間ほとんど家で一人で勉強して過ごしました。世界史を暗記するために部屋の壁一面に「ドゥームズデイブックの序文」とかマニアックな世界史の知識(今はいっこも思い出せません)を張り巡らせた部屋でくる日もくる日も参考書読んでいたので、頭が変になりそうでした。

ある日、ふと気がつくと自分がここ数日声を発していないことに気がつき、しゃべり方を忘れてないか、一人で発声練習したりしてました。一年も終わりに近づき、冬になってくると、来年もこの生活だけはいやだなと心から思うようになり、去年の軽い気持ちから一転して、すごく暗澹たる思いが募ってきました。で、勉強してても集中できないので、久しぶりに町の様子でも見に行くかと外に出てみると、なんとその日はクリスマスイブ。
本気で忘れていました。

当時、家の周りにはコンビニもない場所だったので、本当にクリスマスだと気がつくまで、何月何日だということをきれいに忘れていました。というのも、その頃のぼくの日付の数え方は「あと○○日」だけだったからです。
で、駅前の喫茶店に入って、窓からぼーっと外を眺めていました。カップルがやたらとめだって、みんな楽しそうに腕を組んでマフラーを巻いていて、なんとなく華やかです。対してぼくは起きたままのジャージ姿に無精ひげで、一人だけクリスマスに忘れられたような雰囲気です。

ぼくは生来おまつり好きですし、イベント物はその年まで必ず何か行事に参加していたような人だったので、こういう形でクリスマスを傍観するのははじめてでした。ふと、今頃友達や家族は何をしているのだろうと考えると、寂しくなりました。たった一年の間にずいぶん世界が変わってしまったような気がして、ショックでした。と、同時に人間は一年もあれば、生活も、考え方も、何もかも変わってしまう動物なのだということにも気がついて、不思議でした。

あの時、喫茶店の窓から見た風景は今でも頭にこびりついていて、「寂しい」という言葉で必ず思い出す人生の一場面になっています。ただ、それは今考えるに、あまりいやな寂しさではありません。何かを漠然と待っている、若者独特の寂しさでした。いつかくると信じている「未来」を、ぼくはあの喫茶店で待っていました。

その日から受験まで一月間、なんだかいろんなことを考えました。その時、必死に憶えていたアレクサンダー大王と、カメハメハ大王とか、ラ王とか、の区別すら今となってはつきませんが(うそです。たぶんどれかはラーメンだと思います)、その頃考えた人生のこと、友達のこと、将来のこと、生き方のことは、今も根強くぼくの中で生き続けています。
あれから十年以上経って、年号ひとつ思い出せない知識をたくさん詰め込んだ受験とはいったいなんだったのかと思い出すにつけ、「ああ、あの一月分の考えのためだったんだな」と思ってみたりしています。

受験勉強ははっきり言ってしまえば、あんまり人生の役にたちません。でも、いっしょうけんめい取り組めば、その経験の裏には生涯を支える教訓や思想やレッスンが隠れています。受験の結果も大事ですが、本当に最後に残るのは、きっとそのかけがえのない時間だけです。

日本中の合格発表結果待ちのみなさま、グッドラック!
だいじょうぶ。世界はまだ終わらないよ。

二月の始まりに寄せて

長らく更新が空いてしまいました。ネコゾーです。

年明けのご挨拶もできぬまま、気が付けばもう二月です。そして二月と言えば……そう。受験です。

詳しくはお話しできませんが、明日から始まる中学入試、そして二月全体の都内各私大の入試、私にとってまったく他人事ではありません。なので、ちょっと手に汗をかきながら緊張の夜を過ごしています。

(私が受けるわけではむろんないのですが、その方が緊張する、という気持ちおわかり頂けるでしょうか……)

そんな中、受験に向かうみんなにかけられる言葉はないかな?と、向山の過去エッセイを掘り返しました。

よろしければ、こんな感じで↓少しリラックスして頂けたら何よりです。

がんばれ、受験生のみんな!!

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受験シーズンに向けて 文:向山貴彦

2月。受験シーズン。
全国の受験生の皆さん、生きておられますでしょうか?
寒いし、受験だし、親はノイローゼ気味でうんざりしている頃だと思いますが、「きっとこの会場でこんなに勉強してないのはおれだけだろうな」と思っている人が八割ですから、気にせず突き進んでください。受験直前なのにとなりの席で余裕カマしてiPod聞いている、模試でA判定もらってそうな彼も、大丈夫、実は音楽なんかまるで聞こえてません。「もしここがだめなら、すぐにあっちのB日程受けて、新宿のホテルをキャンセルして池袋に移って」と考えながら、いつまでたっても温かくなってこない指先で鉛筆がちゃんと持てるかどうか心配しているところです。
はい。十五年ぐらいまえのぼくです、それは。ただし、iPodはまだ出ていなかったのでウォークマンですが。

ぼくらの受験シーズンも悲喜こもごもでした。
志望校に受かったやつ、受からなかったやつ、滑り止めも落ちちゃったやつ、受験日に風邪引いて受けられなかったやつ、補欠合格で繰り上がった人、繰り上がらなかった人、一浪、二浪、三浪……けっきょく就職した人……受験日に間違えてうちに遊びに来てた大ちゃん……などなど実に様々な運命に弄ばれた数年間でしたが、あれから十五年が経った今、それが全部どういう思い出になっているかというと……
ほとんど全部がぐちゃまぜになって、まあ、そんな時期があったね、ということで概ね落ち着いています。
自分以外の親しい友達が、誰がどこに受かったとか、正直もう忘れかけています。
あと十年もすれば、記憶はもっと曖昧になると思います。

あの時はたくさん勉強して、模試でも常に上位にいる人がえらい人に見えました。でも、今はその人の名前も思い出せません。代わりに憶えているのは、受験日当日、試験開始前にみんなが緊張している時、おなかが痛くなった女の子を受験時間に遅れる覚悟で医務室へ連れて行った人のことです。ぼくのすぐ後ろに座っている女の子でした。

ぼくは恥ずかしながら、立ち上がって手伝うことができませんでした。第二志望校だったので、もし時間に遅れて落ちたらという不安を感じて、他人の腹痛よりもそっちの方がその時は重大に思えました。きっと、十年も経てばそんな小さな罪悪感も消えて、受かった喜びだけが残るはずだと受験後、自分に言い聞かせていました。

実は、ぼくはあの試験を受かったのかどうかも今、憶えていません。
でもあの時、苦しんでいる女の子に受験会場でただ一人手を差し伸べた人に、女の子が見せた感謝の顔は頭に焼き付いています。 そして、その時、良心の呵責で目をそむけていた、自分をはじめとする他の受験生たちの顔もよく憶えています。あのあと、ずいぶん長い間、あの二人が受かったかどうか気になっていたのですが、今これを書いていて、ふと気がつきました。

それこそ、本当にどっちでもいいことなんだろうな、と。

受験は大事です。そして、とっても大変です。
そうじゃないなんて、絶対に思いません。
でも、一見結果しか大事に見えないこの人生の大イベントで、肝心の結果が思い出せないことに驚いています。
本当に不思議なものです。

受験生の皆さん、体にだけは気をつけて。
良い結果を祈っています。
でも、それは試験の結果ではなくて、この時期が人生に与える結果です。
今、日本で一番大変な毎日を送るみなさんにどうか幸運を。

十年後、「笑い話として受験を振り返る会」でお会いしましょう。

サンタクロースの存在証明

とあるネットのニュースによれば、昨夜、スタジオ上空をサンタが通過した模様。

と、いうところから、思い出しました。個人的にとても好きな、このコラム。

今日のこの日に、お蔵だしさせて頂きます。

Merry Christmas & Happy Reading!!

愛を込めて

猫蔵

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【ネタバレ注意】

このコラムには人生のネタバレがひとつ含まれています。あなたがまだ小学校二年生以下、あるいは12月24日現在、トナカイの蹄の音が屋根に着地するのを待っている場合、このコラムはもう少し夢を失ってからお読みください。

いいですか?

それでは、どうぞ!

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サンタクロースの存在証明 文:向山貴彦

小学校四年生の頃、学級新聞の編集長に任命されて「サンタクロースはいるのか?」という記事を一面に書いて議論を呼んだことがある。――もちろん、議論の内容は「サンタクロースがいるのかどうか」ではなく、「小四にもなって、まだサンタを信じている向山はそろそろ三階の窓から運動場の『希望の池』に落とした方がいいのではないか」という議論だ。幸いにもこの議論の悪い方の結論は免れたのだが、実はこの時、ぼくは「サンタがいる可能性」をまだ本気で信じていた。

というのも、当時ぼくが住んでいたのは親の勤め先の家族寮のようなアパートで、そのアパートの大人全員がグルになって、子供を騙していたからである。彼らの手口はこうだ。毎年クリスマスイブになると、「パーティーをする」と言って、子供達を全員アパートの一室に集める。そこでケンタッキーのチキンと小僧寿司の手巻きを山のように与え、子供達が興奮状態に陥っている間に、両親のどちらかがこっそりと会場を抜け出して自宅に戻り、ツリーの下にサンタのプレゼントを置いてから、またこっそり戻ってきて「ずっとそこにいた」かのようなふりをするのだ。子供にしてみればパーティーの間、親は絶えず側にいたはずなので、真っ暗な家に戻って、天井の照明の紐を引くと――ひとけのない闇の中から忽然とプレゼントが現れる衝撃! しかもツリーの脇に用意しておいたサンタ用のコーヒーは飲み干されて、ベランダのドアはわずかに隙間が開いている。そこから入った冬の夜の外気で部屋の中はひんやりとしていた。――それはもう、子供にとっては迫真のリアリティーだった。確かにその瞬間、部屋の中からは誰かがいた気配が感じ取れ、その残像のような気配に漠然と自分の理解を超えた大きな存在を感じた。

今となって分かることだが、彼らはそこに至るまでの伏線もうまく用意していた。まず毎年十二月に入ると、サンタ宛に欲しいもののお願いの手紙を書かされる。中身は日本語だが、住所はわざわざ英語で「to North Pole(北極)」とするよう指示され、切手を貼って、自分の手でポストに投函するのが習わしだった。ポストに入れた手紙を奪還するのは親でも無理なことは、さすがに小学生でも分かる常識。クリスマスまで毎日ポストを確認していたが、手紙が返ってきたことはなかったので、間違いなく配達されていた。

さらに伏線は続く。クリスマスが近付いてくると、何をするにも大人たちに「サンタが見てる」と言われ始める。家にいても「サンタ見てるよ、手を洗いなさい」、となりの家にいても「玩具片付けないとサンタが怒るよ」などと注意される。子供にとっては軽い脅迫である。この時期の親の台詞はもう「サンタ」が接頭語か接尾語のようになっていて、だんだんサンタが地縛霊のように思えていた。いつどこから見られているのかも分からないから、十二月のアパートの子供たちはみんな聖人君子のように生きていた。

そしてクリスマスイブの夜になると、一家でパーティーに出向くのだが、その前にコーヒーを自分で煎れ、クッキーを二つ付けてツリーの下に供えさせられる。コーヒーは冷たくならないように魔法瓶に入れ、その横にマグカップを添えておくのがお約束だった。我が家のルールでは「子供は熱湯を扱ってはいけない」はずなのに、この時だけは特別に自分でコーヒーを淹れさせてもらえるのが、またなんとも説得力がある。――そして、とどめを刺すように、父親が真剣な表情で「ちゃんとベランダの鍵をはずしたか。はずさないとサンタが入れないぞ」と注意を促してくる。そう。うちのアパートには煙突がないので、サンタはベランダから入ってくることになっていた。たまたまパトカーが通りがかったら、間違いなく現行犯逮捕のサンタだ。
 
その上でパーティーから帰ってくると、魔法瓶は空になっていて、マグカップにコーヒーを飲んだ跡があり、一ヶ月前に頼んだプレゼントがツリーの下に間違いなく存在している。――しかも、同じ現象がどの家でも起きていることが後日、子供同士の会話で判明するのだ。もはや疑う余地などない。むしろ間違っても疑ってはいけない気にさせられる。何しろ相手は留守の時にいつでもベランダから侵入できる巨漢のオヤジである。うっかり「いない」なんて悪口を言ったら何をされるか分かったものじゃない。

このように、親たちの作戦は実に巧妙だった。だが、いつもいつもうまく行っていたわけではない。ある時、パーティーの最中にこんなことがあった。

みんなで野球盤をして遊んでいる時、いきなりカーテンの閉まったベランダの外でガタガタとすごい音が鳴り出した。思わず「サンタだ!」と叫ぶと、全員とっさに大パニック。子供なら喜びそうなものだが、現実は違っていた。ちょっと想像してみてほしい。外から入れないはずの団地の、三階のベランダから、いきなりすごい音がするのだ。楽しいとか、ファンタジックというより、ただのホラーでしかない。小さい女の子は悲鳴をあげて泣き出し、親達でさえみんな身構える中、一番勇気のあったTくんがカーテンを開くと――そこには誰もいなかった。室内は阿鼻叫喚、つ○だじろうの漫画より怖い一幕だった。

後年知ったのだが、それはパーティーをやっていたW家のお父さんが、Wくんに見付からないように、隣の家からベランダ越しにWくんの部屋に入ろうとして、うっかり足を滑らせ洗濯機に激突したのそうだ。――ベランダ越しといっても、三階の柵の外を伝って入るので、軽く命がけである。しかも「サンタのことがばれる!」と思ったお父さんは、とっさにベランダの外にぶら下がって身を隠したらしい。もし下に落ちていたら、次の日、新聞に美談として載ったのか、世紀の親馬鹿として載ったのか、今でも若干気になっている。

そんなわけで、ぼくは学級新聞に全力で「サンタはいるのではないか」と書いて、四年生男子全体の笑い物になり、あだ名が三ヶ月間「ルドルフ」で固定された。最初は「ロマンチック」とか言っていた女子も、ぼくがマジだということを知ると、その笑みが苦笑に変わっていった。女子は本当にロマンチックなことが好きなのではなくて、適度にロマンチックなことが好きなのだということを知ったのだけが、この時の唯一の収穫だったと思う。

それでもぼくはサンタを信じ続けた。アパートの子供たちが一人一人信じるのをやめたあとも、中学生になったぼくは一人、サンタを信じ続けた。もちろん、そう主張した方がプレゼントをもらい続けることができるから、という打算もあったが、自分の頑なな一部が、子供時代を手放したくない一心でサンタの存在にすがりついていたのも本当だと思う。「サンタがいない」と認めてしまったら、改造手術を受けて変身することも、念動力で不良たちをなぎ倒すことも、超磁力戦艦で星の海を旅することもあきらめないといけなくなる。本当はこの世界には目に見えないすごいものがいっぱいあって、それをぼくらは普段知らないだけだということを、信じ続けることができなくなってしまう。

そうして、サンタの存在にすがりつきながら、十代をやり過ごした。東京で一人暮らしをするようになってからも、クリスマスの時期にはいつも「どうしたらサンタは存在できるか」を考え続けてきた。最後にサンタがぼくのところに来てくれてから早三十年。――今でも、ぼくはまだ考え続けている。

当時の舞台裏は親たちから全部聞いている。アパートのベランダにいたのがWさんだったことは否定しない。ぼくが送った北極宛の手紙は全部、あるヨーロッパの郵便局に集められていたことも知った。大人になるに従って襲ってくる圧倒的な現実を前に、一時は打ちのめされて、サンタの存在をあきらめかけたこともあった。でも、それでも説を変え、想像を広げて、サンタの存在を信じ続ける努力をしてきた。2012年現在、ぼくが信じているのは以下のような説だ。

たぶん、赤い帽子をかぶったヒゲのおじさんはいないのだろう。一晩で世界中の子供に欲しい玩具を配るのは、ヤマト宅急便が総力を挙げた場合を除いて、不可能かもしれない。一年中、世界の子供たちの生活態度を見張って、良い子と悪い子を見分け続けるのも、最新鋭のスパイ衛星やドローンを駆使した諜報機関でも無理な話だ。そもそも予算が下りないと思う。

ただ、サンタがそういうものではなかったとしたらどうだろう。

世界中の多くの親が子供の喜ぶ顔を見たくて、サンタのふりをするのは果たしてただの習慣なのか。ミツバチは教えられなくても蜜を運ぶ。自分の意思で蜜を運んでいるつもりだろうが、その実、そういうように遺伝子にプログラムが埋め込まれている。世界中どこのミツバチもそれは同じだ。――もし「サンタ」もそんなあらかじめプログラムされたものだとしたらどうだろう。そうしたら、ぼくの父も、Wさんも、みんな確かに「サンタ」の一人なのだ。

もう少し想像を広げてみるとすれば――例えば、人間が生まれる前、北極で赤い帽子をかぶったおじさんたちが集まって、最初にそのプログラムを作っていたのだとしたら? その中の一人が、悪ふざけが好きな心優しい「ニコラスおじさん」で、「せっかくだからちょっとは夢のあることもプログラムに入れようじゃないか」と言い出したとしたら? 
 
「一日くらいはお互いに優しくなれる日を入れてもいいんじゃないか?」
「その日だけは、なんとなくみんなで集まって楽しいことをして、いやなことや悪いことも忘れて、子供たちにも笑顔いっぱいになるプレゼントを渡す日にしたらどうかな?」

たぶん、その提案はほかのまじめな赤い帽子のおじさんたちに拒否されたことだろう。ちょうど、小四のぼくがみんなに笑われたように。でも、あるいはニコラスは、プログラムの隅にこっそり小さな悪戯を仕掛けたかもしれない。目に見えないものを信じないはずの人間でも、時としてバグのように、神様やサンタクロースのような存在を信じる時があるのは、このニコラスの悪戯のせいかもしれない。ぼく個人としても、この季節になると、急に昔の友達に会いたくなったり、みんなで集まって騒ぎたくなったり、無性に自分の家族が愛おしくなったりする。それが全部、その壮大なバグのせいだったらどうだろう。
 
そのバグのコードネームが「サンタクロース」だとぼくは考えている。

そう考えないと、この世界には説明のつかないことがたくさんあるのだ。子供に小さな夢を見せるためだけに命まで賭けようとしたWさん。胃を悪くしながら、毎年魔法瓶のコーヒーを一気飲みしていたうちの父親。今も百万通以上世界の子供たちから届く「サンタ宛」の手紙の山。そして、それを返却して子供を悲しませないために、なんとか処理し続ける世界中の国の大人たち。サンタを信じている子供に「サンタなんていない」と言うことは、大人社会では無言のタブーとなっている。誰に言われたわけではないが、示し合わせたように親達はみんなそうする。仮面ライダーや巨大ロボはいないとあんなに簡単に言うことができるのに、サンタだけなぜ――?

ただ子供に夢を与えるというためだけの、大きな行事。うちのアパートだけじゃない。この惑星の至るところで、同じ伝説を子供に信じ込ませようと、肌の色も、人生観も違う大人たちが、数千年の間、必死になってきた。本当にそれはただの偶然なのだろうか。この季節に、一瞬でも魔法のような瞬間を感じたことがないと、あなたは言い切れるだろうか。

でも、あるいは「サンタはいない」という方が、もっとファンタジックなことなのかもしれない。――何しろそうだとしたら、この壮大なるファンタジーは全て人間が作り出したものだからだ。人を殺したり、争って国を滅ぼしたりするだけではない。人間はこんなにも長い間、きれいな夢を見続けることができる。ぼくはサンタを信じているが、ぼく以外にももっともっとたくさんの、星の数ほどの人々が信じてきたからこそ、サンタは今も存在し続けている。

街角からジングルベルが流れてくるこの季節になると、小学校の教室の隅で「サンタいるもん」といじけていた四年生のぼくに、こんな話をしてやりたくなる。でも、本当にそんなことをしたら、たぶん「おっさん何言ってるの?」 と言い返されるだけだろう。「サンタいるって。コーヒー好きなんだよ」と力説する幼い自分の姿が見える気さえする。何しろあの時のぼくには理屈などいらなかった。心で分かっていた。サンタが存在することを。――この世界が必ず、素晴らしいもので溢れかえっていることを。
 
そして、それは大人になっても決して変わらないことを。

メリークリスマス!
2012年12月24日
向山貴彦

ほたるの群れ・次回予告

どてら猫

童話物語 幻の旧バージョン

ほたるの群れ アニメPV絶賛公開中

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