2017謹賀新年

本日のワンパラ(2016/06/15)体に悪い考え

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「体に悪い考え」


 深夜、自販機。
 気晴らしに散歩に出た先でドクターペッパーを買う。

 チビチビ缶に口を付けながら夜道を歩いていて、急にふと思った。
 この味って、なんの味なんだろう? 過去、色々不名誉な形容を受けたことはある。「梅味のコーラ」とか「甘い漢方薬」とか「薄めたのどシロップ」とか、缶に書かれている「20種類のフルーツフレーバー」の断り書きに失礼千万な話だ。

 確かに公平に考えて、ドクターペッパーを飲んでいて果物と結びつく味を感じたことはない。ものすごくゆずって、干しプルーンぐらいしか思いつかない。もし本当にこれが二十種類の果物の味だとしたら、その二十種類の果物は少なくとも現代の日本にはないものだと思われる。

 ただ、ドクターペッパーはもともとアメリカの下町のドラッグストアで、調剤師が「健康にいいもの」として作った飲み物だというのが通説である。(名前のドクターもその辺りに由来がある。)おそらく最初はちゃんとした原材料で作っていたのではないだろうか。

 そこで夜道の端に腰かけてスマホを取り出してみた。おそらくスマホというのはこうして真夜中の散歩の途中にドクターペッパーの原材料が急に知りたくなった時のために発明されたものではないかと思う。ステーブ・ジョブスが深夜のアメリカでドクターペッパーを飲みながら「しまった! まだiPhoneを発明してないから、今すぐ原材料が調べられないじゃないか! すぐにでもiPhoneを作らせて調べないと!」と拳を振りかざすところが容易に想像できる。

 そんなスマホ本来の使い方に準じてさっそく「ドクターペッパー フルーツ インチキ」を日本語と英語両方で検索してみると、結構たくさんの情報が出て来る。それを深夜の路肩に座って読んでいると、通りがかりの人たちが怪しそうに横目で見ていくが、彼らはおそらくスマホをゲームにしか使ったことがなく、こう言った本来の使い方を知らないのだろう。いくつかの記事を流し読みしたところ、概ねこういったことが分かった。

・原材料的にはどうもドクターペッパーはぼくの大嫌いなルートビアとそんなに変わらないらしい。

・実際、梅に近いものも入っているので、梅味のコーラもあながち間違いではない。

・結構漢方薬とも材料がかぶるので、甘い漢方薬もそれほど間違ってない。というか、正解。

・残念ながら喉シロップの材料ともそれなりにかぶっている。

・メインの味だと言われているのが「サルサパリラ」という聞いたこともない植物らしいので、やはり日本にない果物で間違いないかもしれない。

・そのサルサパリラはヨーロッパでは淋病や梅毒の治療薬として使われていたらしい。

・推測される原材料のひとつがコカというコカインの原材料になる植物なので、中毒の方も気のせいではないかもしれない。

・「セイヨウネズ」というのは何か知りたくもない。

 この時点でスマホをパタン!とたたんだ。どうもこれは危険だ。もちろんドクターペッパーのことを言ってるのではない。スマホのことである。やはり深夜に道端で思いつきで調べ物をしても、いいことなんてない。熱がありそうな時にずっとがんばって耐えていたのに、熱を測って「38.1」と出た瞬間に動けなくなる——あの現象と同じことが起こりかねない。

 もちろん、原材料にはラズベリーやチェリーやキャラメルや、その他おいしそうなものもたくさん含まれていたが、どうしてもサルサパリラのインパクトに何もかも打ち消されてしまう。特にサルサパリラの効能を知った後だと、最初に調剤していた薬剤師が飲み物を売ろうとしていた客層もひどく気になる。

 手に持っている缶にもう一度口を付けるのをためらう前に、すぐに一口飲む。
 そう。これはぼくの大好きなドクターペッパー。
 淋病の薬とか麻薬では断じてない。二十種類のフルーツフレーバー……それでいいではないか。そうだ。それでいいのだ。なぜ調べようと思ったのだろう。そう缶に書いてあるのだから、それでいいのだ。たとえそのフルーツが紀元前のものだとしても、アトランティス大陸由来のものだとしても、クリストファーロイドに酷似した科学者が笑いながら試験管の中で生み出したものでも、フルーツならそれでいいではないか。

 むしろ体に悪いのは、知らなくていいことを教えてくれるスマートフォンの方だ。急いで作られた最初のiPhoneのプロトタイプを夜道に着陸した緊急離着陸型ヘリから出てきた部下に手渡され、その場で「ドクターペッパー フルーツ インチキ」で検索して「NOOO!」となるジョブスの姿を想像しながら、ぼくはその日、夜道を帰途についた。

*この時のドクターペッパーはそのあと、スタッフがおいしくいただきました。
 

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本日のワンパラ(2016/06/11)「最後のメッセージ」

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「最後のメッセージ」


 昨年の九月、父が亡くなりました。

 「うちの親伝説」「大学教授の散歩道」などですっかりおなじみの父ですが、よほど不死身のイメージがあるのか、九十二歳で亡くなったというのに、どこへ連絡しても「うそ!」「まさか!?」という反応ばかり返ってきました。日本人の平均年齢も、卒寿も、とっくに越えているのだから、「まさか」も何もないと思うのですが、どうも父だけは本気で死なないと思っていた人が結構多くいたようです。

 そんな父が愛したのが英語と文学でした。幼い日に叔父の家で英語の雑誌を見て、その中に出て来る汽車のおもちゃや珈琲のパーコレーター、ボブスレーなど、見たこともない世界に目眩がするほど憧れたのがきっかけだったようです。何しろ戦争よりもずっと前の時代——山梨の川と畑しかない田舎に住んでいた子供には、想像を絶する体験だったことでしょう。

 しかし、残念ながらそこに載っている説明を、父は一文字も読めませんでした。家族の誰も読めませんでした。知り合いの誰一人、読めませんでした。アメリカと貿易をしていた叔父さんですら、写真を眺めているだけでした。英語の辞書はもちろんないので、分からない言葉を調べる方法もありません。インターネットなんて夢のまた夢です。それでもくる日もくる日も雑誌を眺めて、父は少しずつ英語を憶えていったそうです。

 それ以来、いつかアメリカに行ってみたいと考えて、父は勉強を始めました。学べば学ぶほどアメリカが近くなるような気がして、父にとって勉強は最高の娯楽になりました。しかし、裕福でない家庭では、勉強は最高の贅沢でもありました。結果的に父は十代の初めで大好きだった学校を辞めて、働きに出ざるを得なくなりました。

 過労から重い病気を患い、命からがら生き延びたかと思うと、今度は戦争が始まり、軍隊に徴兵され、否応なく死を覚悟した父にとって、「学校」は見果てぬ夢でした。敵国となったアメリカと英語は、もはや手の届かない遠いところへ離れていました。でも、どんな状況になっても、父から「学びたい」という気持ちだけは決して消えることがありませんでした。崇高な気持ちでも、高い志でもありませんでした。ただ、本当に勉強が好きなだけでした。

 戦争が終わったあと、父は夜明け前から畑に出て土地を耕し、午後からは学校に行く時間を作ろうと町を奔走しました。当時の日本人としては例外的に英語ができることを活かして、占領軍のGHQに通訳のバイトとして雇ってもらい、焼け野原になった東京を米軍のジープに乗って走り回りました。その甲斐あって、同級生に何年も遅れてですが、戦後やっと教室の席に戻る事が出来て、禁止になっていた英語も思う存分学べるようになりました。かすかにですが、アメリカの大学へ行く夢にもまた火が灯りました。

 しかし、当時は一般市民がドルを持つことすら禁止されていた時代。アメリカに留学するのは月世界旅行並に難しいことでした。それでも父は働いて、勉強して、あらゆる方法を探して、探して、探し続けました。GHQで通訳として働いたあと、重症結核病棟の患者に英語を教え、大学で講師として働き、やがてフルブライトの奨学制度に出会って、その果てにアメリカの大学へ留学が決まったのは、実に三十五歳の時でした。そこからさらに二十年——アメリカで最低賃金の労働に従事しながら空き時間に学校に通って、アメリカの大学院で博士号を取った時には、もう五十近い年齢になっていました。

 それでも、父は学びたかったのです。

 結婚するのも、親になるのも、就職するのも、世間より大幅に——それこそ二十年以上遅れました。アメリカで苦楽を共にした母と共に大学の英語の先生になったのは、もう普通の人が定年を間近に控えた五十代でした。ところが、だてに不死身と思われていたわけではないようで、父はそこから四十年近く現役で働いて、八十九歳まで教壇に立ち続けました。自分と同じような夢を持った若者を海外で学ばせたい一心から、アメリカへ留学に送った生徒は述べ千人以上。八十八歳の夏まで、毎年自分自身がアメリカまで行って、留学生の面倒を見ていました。

 父は「いつもにこにこしている人」でしたが、その満面の笑顔で、いつどこででも、誰にでも、英文学を語っていました。相手が三歳の幼子でも、言葉の通じない外国人でも関係ありません。目をきらきら輝かせながら「詩はすばらしいよ」と言って、覚えている無数の詩の一篇を暗唱しては、熱っぽくその意味を話し聞かせていました。

 相手はたいていぽかんとして、ただ茫然と聞いているだけです。うちに遊びにきたぼくや妹の友達を捕まえては無差別に詩の話を何時間も聞かせるので、子供の時は恥ずかしくて、申し訳なくて、心底まいりました。

 でも、不思議なことに、そのわけのわからない難しい話をどうやらみんな好きだったようです。お葬式のあとに驚くほど多くの人にそう教えられました。「内容はさっぱり分からなかったけど」と断った上で、「もう一度だけでも聞きたかった」と多くの人から涙と一緒に告げられて驚きました。元学生さんからは「向山先生に『一生勉強しなさい』と言われたことを今も大切に覚えています」というお手紙をたくさんいただきました。その後、自分自身も先生になって、英語を教えている人も数多くいるみたいです。

 入院してからも、父は最後の最後まで世話をしてくれる看護師さんをつかまえては、「何歳になっても勉強することを忘れちゃいけないよ」と話していました。点滴と酸素マスクにつながれている状態です。さすがに迷惑だし「もうやめなよ」と父に言ったのですが、あとから看護師さんに謝りに行くと、看護師さんは「ああいう話をしてくれる人は私にはほかにいません」と涙を浮かべていました。

 息を引き取る三日前になっても、父はかすれがすれの声で、時々休みながらもぼくの妻の猫蔵にロングフェローの詩の話をしていました。父のぼくらへの明確な最後の言葉になったのは、「じゃあ、この続きはまた今度」というものでした。猫蔵は今でもその続きを探して、父の遺した原稿を読んでいます。おそらく、これからも一生探し続けると思います。

 「学ぶことは尊い」。そして「学ぶ気持ちさえあれば、どこでも学校になる」ということを、父は身を持って周りに教え続けました。九十で現役を引退してからは、はじめての長編小説を書き始め、述べ六十万字にものぼる原稿を去年の初めに書き上げました。そのためにパソコンも、ワードも九十歳で学びました。自分の半分の年齢の息子に小説の書き方を真摯に聞き、それよりもさらに若い息子の嫁に原稿を校正してもらって「なるほどね」と素直に赤字にうなずく人でした。

 亡くなる前の夜、呼吸が低下する度、好きだった英語の詩を家族が交互に読み上げました。すると、意識がないはずの手に握力が戻って、呼吸が何度も回復しました。大好きだったロバート・ブラウニングの「Prospice」という詩を読んでいる最中、ある箇所で何度もぼくの手を握るので、なんでなのかなと思いました。そして、何度目かに読んでいる最中、ふと気が付いて、涙が出ました。

 ある単語を読み違えて発音していたのです。気が付いて読み替えてみると、かすかに父の口元に笑みが浮かんで、手の力が抜けました。——こんな状態でも、父はまだ何かを教えようとしている。まだ文学への情熱を持ち続けている。ただただ、そのことに胸が一杯になって、父の手を握り返しました。

 どこでも学校になるし、どこでも学ぶことは出来る。
 だから学び続けなければいけない。

 今年も新しい春が来て、あっちこっちにたくさんの新しい学生、新しい社会人が生まれたことと思います。新しい学校や、新しい会社へ行く人だけでなく、新しいことに色々と挑戦している人たちもたくさんいると思います。今までやってきたことを今年もがんばり続ける人もいると思います。今は疲れて、休んでいる人もいると思います。

 でも、あなたがどこの誰であっても、もし今、たまたま父と出会ったら、父は間違いなくあなたにこう言うはずです。

 「どこにいてもいいいんです。学ぶのだけはやめないで。どうか、いつまでも学び続けてください」

 父の代わりにこの言葉を届けたくて、これを書きました。

 父ちゃん、ありがとう。
 ぼくも学び続けるよ。

 2016年 春
 向山貴彦

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(向山義彦の肖像画 作・平山けいこ)

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スタジオ日誌「焚き火の側」

「地下ノ森」や「世界一簡単な英語の教室」などでお世話になっている庭師集団・涼仙の「森サロン」に猫蔵と二人、お邪魔してきました。涼仙の本社は森です。正確には森の一角に砂利を敷いた敷地で、そこに資材置き場と小さな建物がいくつかぽつんぽつんと建てられています。建物はすべて手作り。仕事の合間に板と釘とあまった資材で作られたものばかりですが、どれも見たことがないようなかわいいミニハウスです。事務所に至っては、建物の真ん中に生えていた木をそのまま支柱に使っているため、部屋の中に緑の枝葉が広がっています。会社というよりも、森の片隅に建っている、小さな村です。

IMG_7703 (涼仙の森の中程に建つ二階建てのウッドデッキを囲んで)

この一角は周囲だけでなく、上もドーム状に木に囲まれていて、驚くほど静かです。寝転がれば、視界いっぱいに青いバックに木の葉の天井が広がります。こんな時期でも不思議とほとんど蚊もいません。
そこに仲間みんなで作り上げた二階建てのウッドデッキがあって、二階部分には屋根もないのに皮のソファセットが置いてあります。「雨が降ったらどうするんですか」と聞いたら、涼仙代表の井上さんは「まずいでしょうね」と大笑いしていました。そんな感じの豪儀な人たちです。

本日はそのウッドデッキの下で、一日中炭火のコンロで好きなものを焼きながら、お酒を飲み、人生を語る日でした。集まっている人たちは道具と材料だけあればなんでも作ってしまう人たちばかりなので、聞く話聞く話、みんな圧巻です。ぼくが座っていたワイヤーフレームのかわいいベンチも、隣の人が作ったものだとあとで知りました。石だけで数百年崩れない門を作る人や、仕事の合間に家を一人で建てちゃう人もいます。

しかし、ぼくもせっかくきたのだから、何かひとつくらい貢献しないといけません。
といっても、木工仕事はイケアの組み立て家具が上限いっぱいいっぱいです。そんなぼくにここで何ができるでしょうか。
見れば傍らで焚き火が激しく燃え上がっています。貯めてある薪をふんだんに使ったもので、うちの庭でやったら確実に明日の朝刊に載るレベルの大きさです。周りは森。火花が闇夜にパチパチと飛んでいます。もうこうなったらやることはひとつしかありません。
そうです。マシュマロを棒に刺して焼くことです。

聞けば、みなさん誰もやったことがないというではありませんか。
これはいけません。人生の喜びの七割強は焚き火で焼いたマシュマロを食べることです。設計論や業界の未来を熱く語るみなさんを横目に、慌てて車を走らせて近くのスーパーに行き、マシュマロを買ってきました。
しかし、割り箸に刺して焼こうとすると、さすがは庭師の焚き火です。火の勢いが強すぎて、マシュマロよりも先に指が焼けてしまいます。
「もうちょい長い棒みたいなものありませんか」と近くの職人さんに尋ねてみたところ、「ちょっと待ってて下さい」と倉庫の方へ走っていったので、金串か木の枝でも取ってきてくれるものだと思っていました。でも待っていても、なかなか帰ってきません。見ると、倉庫でうずくまって何かをしています。五分経っても戻ってこないので様子を見に行くと、「ちょうどできました!」と言って見せてくれたのが、竹からたった今削り出した三本の長い竹串。ちゃんとマシュマロを刺す側は、口に棘が刺さらないようになめらかに加工されています。たかがマシュマロ数コを焼くのに浪費される職人技が泣けます。

IMG_6432 (焚き火で焼くマシュマロ)

結局、マシュマロを一袋半焼いて、ついでに買ってきた花火で遊びました。いいおっさんがみんなで花火をする光景というのはなかなかに哀愁深い味わいのあるものです。ついはしゃいでしまって「子供の時って尻で花火を消すのってよくやりましたよね」と言って、一同に引かれたりもしましたが、あっという間の数時間でした。落ち葉のブローワーで焚き火をスーパーサイヤ人モードにして遊んだのもいい思い出です。

家に帰って来て右手を見てみると、すっかりマシュマロの焼きすぎで手の甲が赤くなっていました。
思えば小さい頃、よくこうして焚き火でやけどをしました。近所で誰かがいつも焚き火をしていて、夕方になるとどこからともなく煙の匂いが漂ってくるのが普通の時代でした。コンロの火しか見ない生活を二十年以上していると、こうして焚き火を前にした時、いかに自分が自然から離れているのかを思い知らされます。

家も、ベンチも、二階建てのウッドデッキも、その気になれば一人で作れることを教わった一日。
それにしても、あのソファセットが心配でなりません。

(向山貴彦・2016/6/5)
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広島の展覧会に宮山香里登場!

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情報が遅れてすみません。童話物語でおなじみの宮山香里が昨日から広島で始まった展覧会に参加しています!
日本の南の方にお住まいの皆様、よかったらぜひお立ち寄り下さい。

Cos’è l’Arte?なにがアートなの?
「序章 −confine境界− 」

2016年1月19日 – 31日
Gallery G
〒730-0012広島市中区上八丁堀4-1
tel: 082-211-3260

展示作家:岡﨑歩・栗原和美・七搦綾乃・藤田はるか・宮山香里

公式サイト:http://gallery-g.jp/exhibition/confine/
*画像は公式サイトからお借りしたものです。

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2016年、あけましておめでとうございます!

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スタジオ・エトセトラより新年の御挨拶申し上げます。
寒い時期ですが、みなさまが温かい場所におられますように。
今年もどうぞよろしくお願いします。

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ほたるの群れ・次回予告

どてら猫

童話物語 幻の旧バージョン

ほたるの群れ アニメPV絶賛公開中

作者公式サイト

  • RD
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