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なんとかなる受験の話

前回の更新からたったの数日。

中学入試の世界では、様々なドラマが生まれ、そしてもう少しで終わりを迎えようとしています。

都内の中学受験事情をあまりご存じでない方に、少しご説明しておくと、東京都の中学受験は2月1日に始まり、午前入試、午後入試など様々な学校を組み合わせて、数日間連続で受け続けます。合否は当日の夕方以降か、翌日などに即発表されることが多く、ただでさえ試験の疲れでフラフラになっている生徒が、初日の心の動揺をそのまま二日目に引きずってしまって、偏差値的には絶対受かる学校で×だったとか、様々なことが起きます。

日数の開きがちな大学入試とはまた違った感覚ですし、年齢的にも小学六年生、まだまだ動揺しがちな時期です。本番が不安で泣いてしまったり、家族で意見が合わずもめてしまったり、いろいろあります。でも、みんな子供なりに戦ってきています。そういう子は、たった数日の間にすごく成長して、別人のようになっていたりします。

そんな中学入試とはちょっと違うかもしれませんが、これから私立の大学受験が本格化してきます。そこに合わせて、本日は向山コラムから、こちらをご紹介致します。前回と合わせて読んで頂けると、さらにお楽しみ頂けるかもしれません。

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終わらない世界と受験の話 文:向山貴彦

受験中のみなさん、忙しい時に読んでくれてありがとう。

ぼくはいろんな事情により、大学受験は普通の人よりも四、五年遅れてやりました。おまけに一浪もしているので、けっきょく同世代の人が卒業する頃に入学することになって、同級生もみんな五つ下の妹と同い年か、それ以下だったので、かなり浮いた受験生でした。どこの受験会場でも必ず学生バイトと間違えられたりして、おまけに不動産屋で物件紹介してもらう時に偽学生だと間違えられて、わざわざ問い合わせの電話をかけられたりもしました。

だからなのか、その時期ってのはけっこう良く記憶に残っています。
遅ればせながら大学受験することになり、はじめて一人で上京したのですが、一年目はあえなく玉砕。かすりもしませんでした。しばし日本の教育システムを離れていたせいか、「けっこう受かるんじゃないか」ぐらいに軽く考えていたのですが、いやー、忘れてました。日本の受験が世界一シビアなのを。

ぼくは選択教科は世界史だったのですが、一年目に受験した時は答えはおろか、問題の意味が分からないものだらけで、答案が配られた時にはしばし茫然としてました。周りからはカリカリ何か書いている音がするし、「コーヒー豆の伝来を通して、インド史を語れ」みたいな何を言っているのかよく分からない問題に、みんなこんなに答えられるものなのかと、もうそれだけでびびってしまい、その後の数時間、何をしていたのかも良く憶えていません。
なんとか小論文で挽回しようとはりきったのはいいのですが、「ペース配分」ということをまったく知らなかったので、しなくてもいいのに、いつもの癖でネタを最初にだめだしして、ねりなおして、構成を考えていたら、数行書く前に試験が終わってしまいました。

というわけで一年間は東京で浪人生活を送りました。当時東京に住んでいる知り合いは皆無で、唯一横浜に住んでいたフライング(面倒なので説明ははぶきますが、スタジオのスタッフで、中学時代に「空を舞った」ことがあるので、こういう名前になった男です)ぐらいしか遊び相手もなく、彼も仕事が忙しかったので、まあ一月に一回も顔を合わせれば多い方でした。だから一年間ほとんど家で一人で勉強して過ごしました。世界史を暗記するために部屋の壁一面に「ドゥームズデイブックの序文」とかマニアックな世界史の知識(今はいっこも思い出せません)を張り巡らせた部屋でくる日もくる日も参考書読んでいたので、頭が変になりそうでした。

ある日、ふと気がつくと自分がここ数日声を発していないことに気がつき、しゃべり方を忘れてないか、一人で発声練習したりしてました。一年も終わりに近づき、冬になってくると、来年もこの生活だけはいやだなと心から思うようになり、去年の軽い気持ちから一転して、すごく暗澹たる思いが募ってきました。で、勉強してても集中できないので、久しぶりに町の様子でも見に行くかと外に出てみると、なんとその日はクリスマスイブ。
本気で忘れていました。

当時、家の周りにはコンビニもない場所だったので、本当にクリスマスだと気がつくまで、何月何日だということをきれいに忘れていました。というのも、その頃のぼくの日付の数え方は「あと○○日」だけだったからです。
で、駅前の喫茶店に入って、窓からぼーっと外を眺めていました。カップルがやたらとめだって、みんな楽しそうに腕を組んでマフラーを巻いていて、なんとなく華やかです。対してぼくは起きたままのジャージ姿に無精ひげで、一人だけクリスマスに忘れられたような雰囲気です。

ぼくは生来おまつり好きですし、イベント物はその年まで必ず何か行事に参加していたような人だったので、こういう形でクリスマスを傍観するのははじめてでした。ふと、今頃友達や家族は何をしているのだろうと考えると、寂しくなりました。たった一年の間にずいぶん世界が変わってしまったような気がして、ショックでした。と、同時に人間は一年もあれば、生活も、考え方も、何もかも変わってしまう動物なのだということにも気がついて、不思議でした。

あの時、喫茶店の窓から見た風景は今でも頭にこびりついていて、「寂しい」という言葉で必ず思い出す人生の一場面になっています。ただ、それは今考えるに、あまりいやな寂しさではありません。何かを漠然と待っている、若者独特の寂しさでした。いつかくると信じている「未来」を、ぼくはあの喫茶店で待っていました。

その日から受験まで一月間、なんだかいろんなことを考えました。その時、必死に憶えていたアレクサンダー大王と、カメハメハ大王とか、ラ王とか、の区別すら今となってはつきませんが(うそです。たぶんどれかはラーメンだと思います)、その頃考えた人生のこと、友達のこと、将来のこと、生き方のことは、今も根強くぼくの中で生き続けています。
あれから十年以上経って、年号ひとつ思い出せない知識をたくさん詰め込んだ受験とはいったいなんだったのかと思い出すにつけ、「ああ、あの一月分の考えのためだったんだな」と思ってみたりしています。

受験勉強ははっきり言ってしまえば、あんまり人生の役にたちません。でも、いっしょうけんめい取り組めば、その経験の裏には生涯を支える教訓や思想やレッスンが隠れています。受験の結果も大事ですが、本当に最後に残るのは、きっとそのかけがえのない時間だけです。

日本中の合格発表結果待ちのみなさま、グッドラック!
だいじょうぶ。世界はまだ終わらないよ。

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