「長くて楽しい夢」
二十五年前。1984年、某アメリカの田舎町。——今ではつぶれてしまった古いショッピングモールの片隅。
まだ雪が少し残る寒い日の午後、今では名前も忘れてしまったコンピューターショップの前で、ぼくはじっと窓ガラスに貼り付いていた。すでに三十分以上外で待っていたので、手はかじかんで、息が白かったが、それでも気持ちはこれ以上ないほど高揚していた。
当時小学校六年生のぼくは、数年前に「apple II」というコンピュータに魅せられて以来、来る日も来る日もコンピュータのことばかり考えていた。もちろん、高価なコンピュータが買えるはずもなく、暇を見つけては近くの図書館のコンピューター室に遊びに行ったり、町唯一のコンピューターショップに展示されているapple IIを触りに行った。店長のおじさんとはすっかり仲良くなって、店が閉まってからでも、しばらくapple IIをいじらせてもらえることもあった。
冬のある日、いつものようにapple IIで他愛もないゲームをプレイしていると、ひげ面の店長がニヤニヤしながらぼくに話しかけてきた。
「すごいものを見たくないか?」
新しいゲームでもあるのかと思って、ぼくは目を輝かせながら店長にうなずいた。すると店長は「明日うちの店にマッキントッシュが来るんだ」と誇らしげに言った。
「マッキントッシュ?」
お菓子か何かだと思った。
「アップルの新しいコンピュータだ。すごいんだぞ。明日の三時頃に店に届くから、見に来いよ」
店長があまりに思わせぶりに言うので、おかげでその夜はあまり眠ることができなかった。「すごい」と言われても、どんなものかさっぱり分からないので、妄想することすらできず、悶々と次の日の学校を過ごした。当然、学校から帰った瞬間に自転車にまたがって、そのまま店まで飛んでいったのだが、その「すごいもの」は到着が遅れていた。
大らかな時代だったので、店長が「すごいもの」を取りに出る間、店は一時的に閉まっていた。仕方なく、ぼくは窓の前で待つことにした。
そろそろ戻らないと母親に怒られるかと心配になり始めた頃、暗かった店の中に電気が灯って、奥のドアから店長が大きな荷物を抱えて入ってくるのが見えた。口をぽっかり開けたぼくが、ショーウィンドウに貼り付いているのを見つけると、店長は苦笑して、とりあえず入口の鍵を開けてくれた。まともなコートも羽織っていないぼくを見て、店長は「あったかいレモネードでも飲むか?」と言ってくれたが、ぼくはそんなことより、店の真ん中に置かれた箱が気になって仕方がなかった。
「わかったわかった、今開ける」と言って、店長はもったいぶりながら箱からきれいに梱包された「マッキントッシュ」を取り出し始めた。それは想像していたよりもはるかに小さくて、不思議な形をした物体で、およそコンピュータには見えなかった。店長は本体を店の真ん中の展示用の丸テーブルに置くと、続いて箱の中からキーボードを取り出し、それをぼくに見せてにやりと笑ってみせた。たぶんその頃には、ぼくは餌をもらう犬のように、息が荒くなっていたと思う。
しかし、荒くなった息は、店長が箱の中から見たことのない四角い小さな装置を取り出したところで逆にぴたりと止まった。胸がドキドキしていた。こめかみの辺りに血が流れているのが分かって、なぜか涙が出て来そうな感覚があった。——きっとこれから、ぼくはすごいものを見ることになる。なぜかそんな予感がした。
店長が電源を入れると、いつもの黒いモニタにカーソルが現れるのを待った。しかし、現れたのはカーソルではなく、矢印だった。画面の真ん中で矢印が動き回っていた。そして、それは驚くべき事にテーブルの上で動いている店長の手とぴったり連動していた。
体中に鳥肌が立った。店長が矢印を使って、メニューを開く。あ然として見守っていると、さらに画面の矢印は鉛筆のような形に変化して、信じられないことに、画面の中に「どうだい? 驚いたか?」という文字が手書きで現れた。言葉すら出せないぼくに、たたみかけるように店長はキーボードで画面に文字を打ち込んで、また矢印で何かをいじる。次の瞬間、コンピュータがぼくに音声で話しかけてきた。
「やあ。こんにちわ。ぼくがマッキントッシュだよ」
思わず「こんにちわ」とぼくもまじめに挨拶を返すと、店長は大きな声で笑った。すでに夕方だったが、もはや帰ることなどできるはずもなく、その日はあたりまえに閉店まで店にいたので、帰宅したあと、母親から烈火の如く叱られた。
その日以来、マッキントッシュに取り憑かれて、ほぼ毎日その店に通いつめることになった。二冊あったマッキントッシュのパンフレットのうちの一冊を無理言って店長にもらったので、家に帰ったあともずっとパンフレットを眺め続けた。薄いパンフレットだったので、折れないようにいつも二枚のダンボール紙の間に挟んで持ち歩いて、決して誰にも見せなかった。一人で部屋のベッドに潜り込んで、飽きることなく何時間でもパンフレットの写真を眺めたりして、ずいぶん親を心配させたりもした。
当時のコンピューターにできることは限られていたけど、それでもまるで未来を触っているように面白かった。コンピュータはまだ生まれたばかりだったけど、ぼくたちも似たようなものだった。これから、この機械がどんどんすごくなっていく未来をぼくは大人として生きて行けるんだ、と思うと、心から幸せだった。
翌年、日本に戻ってもマックのことが忘れられなかった。当時、日本にもわずかにマックが輸入され始めた時期ではあったが、その値段は気が遠くなるようなもので、雑誌の片隅にある小さな広告の数字にはいつも0が六つ以上並んでいた。中学生になって、小遣いが1000円上がった程度では、到底手の届くようなシロモノではなかった。
それでも執念のようにマックを求め続けて、18歳の時、初めて近くの書店で使っていたmacintosh classicの中古を格安で譲り受けることに成功した。初めてそれが家に届いた夜は、比喩とかではなく、文字通りマックを抱いて寝た。
あれから二十年以上——。そのマックは今もまだ家の書庫にある。電源を入れれば、「漢字Talk6」が現役で動くのが自慢だ。そのほかに、家にはマックが三台ある。そのうちのひとつで、この文章を打っている。マックはすっかりぼくの日常の一部になったが、今でもふいに「わー、今ぼくはマックを使ってるんだ。すごいな」と思う時がある。きっとあの日、窓の前で震えながら待っていたまだ見ぬ「すごいもの」を、今でも待ち続けている気持ちがどこかに残っているからだと思う。
アップルの新製品の基調講演が始まる直前は、ぼくはいつもあの窓の前で待っている少年に戻る。ワクワクして、未来に思いを馳せて、自分の鼓動が耳の奥から聞こえてくる。そんな時、人生は楽しく、明日は今日よりも明るく見える。
実はあの時のパンフレットを倉庫から取り出してきて、今、眺めながらこれを書いている。この三十年、長く楽しい夢を見せてくれたアップルの創始者、スティーブ・ジョブスが今朝、亡くなったからだ。
今頃、きっとこれと良く似た文章が世界中で書かれているのではないかと思う。ぼくと同じように窓の前で待っていた少年たちが、世界中にいっぱいいるはずだから。——次のone more thingがもうないと分かっていても、これからもぼくらはきっとどこかでそれを待ち続けると思う。
ミスタージョブス、三十年間、目が回るほど楽しい思いをさせてくれてありがとう。あなたがかじって、ぼくらに渡してくれた禁断の実は、それはそれは魅力的なものでした。
Stay hungry, stay foolish ——。
さよなら。偉大な先生。
(ボロボロになってしまった大切なパンフレット)