パイポ

特別寄稿文「まだ窓の外を見ている(後編)」

実家に二年ぶりに帰った先週、なんとなく部屋の窓を見ながら書いた文章です。
昨日の(前編)を読んでいない方はぜひ前編からどうぞ。前編としっかりつながっているので、前編から一気に読んでもらうことをおすすめします。

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【まだ窓の外を見ている(後編)】

 中学校の卒業式が三日後に迫った頃、ぼくはまだ必死にワープロに向かって、小説の最終回を打っていた。友達と別れる寂しさに圧倒され、何かに取り憑かれたように寝ず、飲まず、食わずで最終回を書き続けた。書きながら中学三年間のことが頭を駆け巡って、ずっと複雑な気持ちでキーボードを叩いていた。最後の行を書き終わった時、これでもう続きはないのだと気が付いて、布団の中に潜り込んで、丸まって泣いた。まるで一番大事なものを、自分で壊してしまったような気分だった。小説も、中学校も終わってしまう。——予想もしていない感情だったために、自分でも戸惑った。全部書き終わったら大きな満足感を得られると、中学三年間、ずっと思ってきた。でも、実際に終わってみると、残ったのは奇妙に空っぽな感じのする寂しさだけだった。
 結果的に、その最終回で初めて友達に小説を誉めてもらった。不思議に、その時は逆にどんなにけなされてもいいと思っていた。そんな素直な気持ちになれたのは初めてだった。——しばらく経って、きっとそれが「全力で何かをする」ということなのだと気が付いた。自分でここが限界、と思うまでやったことは、逆に人に批判されることが怖くなくなるのだと分かったのは、すごい発見だった。ただ、その「限界」は本当に限界までやらないといけないということも、この時、身に染みて分かった。
 こんなように、永児たちには数えられないほどたくさんのことを教えてもらった。この時にやった「脚本から文章を起こす」スタイルの書き方は今でもまだやっている。下書きの段階で何度も書き直すことも、この時、当たり前になった。誰かに「面白い」と言ってもらえることの喜びも、「面白くない」と言われることの悔しさも、彼らから存分に習った。——そうしてたくさんのものを与えてくれたあと、永児たちはぼくの元から去って行った。
 ……はずだった。
 それから三十年が経った今、すっかり様変わりした自分の実家の部屋で横になっている。あの時に部屋にあったものはもうほとんど何も残っていない。古いテレビが最初に捨てられ、錆びた金属製の本棚が消え、大きな事務机も東京に行く時に処分した。本棚の古い漫画は箱に詰められ、ボロボロのカーペットは剥がされて、今では床はフローリングに変わっている。後生大事にしていたあのワープロさえも、惜しみつつ、2007年についに処分した。
 変わらないものといえば、ただひとつ。この窓から見える風景だけだ。これだけはあの時見ていたものとほとんど変わらない。こうして同じ角度から窓の外を見ていると、束の間、中学生だった時の純粋な気持ちや、まだ見ぬ未来に向かって行く果てしない情熱を思い出すことができる。あの時、確かにぼくはこの部屋で高塚永児と小松嬉多見と共に時を過ごした。それほどはっきりと、側に彼らを感じていた。
 たくさんの時間が過ぎて、世界は驚くほどの変化を遂げ、元号が変わって、世紀も変わった。それでも、どういうわけか永児たちだけはいつまでもぼくの心のどこかに残り続けた。人生のことあるごとに、彼らのことを思い出しながら生きてきた。——今もあの中学に彼らはいるのだろうか。そして、今もぼくが帰ってくるのを待ち続けているのだろうか。時々夜中に夢の中に永児たちが出てきて、ぼんやりと朝、窓から外を見ることがあった。
 もう一度永児たちの物語を書きたいという気持ちはずっとあった。でも、何しろ元があまりにも荒唐無稽な物語だったため、大人の作品として書き直すのは難しいだろうと考えていた。それでも時々思い出しては試行錯誤をして、少しずつ物語の外郭を入れ換え、あり得ない部分を削り取り、気が付くと三十年の間にそれなりにまとまっていた。数年前に某携帯サイトから小説の連載の話をいただいた時、とっさに「こんなのがあるんですけど」と半分冗談のつもりで永児たちの話を切り出したところ、意外なほどあっさりと「それでいきましょう」ということになって、逆にぼくの方が戸惑ってしまった。
 そんなこんなで、四半世紀ぶりにまた、永児たちの物語を書いている。一行目を書いた時、「久しぶりですね」と喜ぶ永児の声が聞こえた気がした。懐かしい中学の門をくぐると、そこにはあの時と変わらない永児たちが待っていてくれたのがうれしかった。
 こうして窓の外を見ながら、三十年前には想像もできなかった四十代の自分を鑑みると、人生の不思議さを否が応でも感じてしまう。ぼくのつたない小説を読んでくれたみんなは、いつの間にかバラバラになって、日本中——あるいは世界中に散り散りになってしまった。でも、今でも読み続けてくれている人も何人かいる。
 部屋の隅に目をやると、そこに永児や喜多見たちが相変わらず座っている。八十年代よりはちょっとおしゃれになって、携帯電話を持ったり、前より深刻なことで悩んだりしてはいるけど、同じ永児たちだ。
 それはぼくも同じだ。少しは見た目に気を使うようになって、携帯電話を持ち、中学生の頃よりいくらか深刻な悩みが増えた。——もう、天井のタイルの模様を数える時間はない。部屋も言われなくても片付けるようになった。
 あの時、四話を返しに来てくれた名前も知らない後輩の女の子に、今ならごまかさずに言えると思う。きっと人生も物語も、一緒だ。
 続きはある。——いつだって。

2012. 9. 23
初秋の下関にて
向山貴彦

mado

(寝転びながら撮った実家の部屋の窓)

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