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本日のワンパラ(2013/09/26)「死語の世界」

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「死語の世界」

先日、ティッシュのことを「ちり紙」と呼んで、若者に笑われた。一瞬、なぜそれがおかしいのかも分からなかったので、そろそろ本格的におじさんになって来ているのかもしれない。

どうしてもCDを買うところを「レコード屋」と呼んでしまったり、ごく希にだけどパソコンのことを「ワープロ」と呼んでしまったりする。ぼくにとってはそれほど違和感のないことだけど、きっと今の十代が聞いたら、ぼくの子供の頃に父が「映画」のことを「活動写真」と呼んでいたぐらいの衝撃なのだろう。

考えてみれば、今の十代は生まれた時からネットも携帯電話も液晶テレビもあったわけで、おそらく大半の人はカセットテープで音楽を聴いたことなどないはずだ。ましてや、あの爆発する恒星のような一瞬の輝きと共に消えた「MD」という不遇なメディアなど、目にしたことさえないだろう。正直なところ、現実にその時代に若者をやっていたぼくでさえ、はっきり思い出せないので、それも当然である。

気が付くと、言葉などというものはあっという間に変わっている。小説を書いていると、時々その変化に驚かされる。例えば、ほんの数年前まで携帯電話は「開く」のが当たり前だった。そのため、電話で話す動作を描写する時にはまず「携帯をポケットから出して開かせる」ことが必要だったが、いつしか「携帯を開く」という動作自体に違和感が出てきている。それは自分も含めて、ぼくの周りの人がほとんどスマートフォンに移行したからだ。うちの母親なんて初代iPhoneをぼくよりも先にゲットしている。

おそらくあと十年も経てば、「携帯を開く」という文章を読んだ若者は、それが何を意味しているのか想像も付かなくなるだろう。あるいは「携帯」という単語そのものがすでに絶滅しているかもしれない。

かつてはチャンネルも、電話も、ドアノブも、みんな回すものだった。でも、最近はすべて押すものに変わっている。確かに押す方が動作がひとつ少ないので、楽と言えば楽だ。ラジカセのボタンが「明らかに何かを押し込んでいる重い感触」のある物理的な再生ボタンから、「ピッ」という音だけの小さなボタンに変わった時もずいぶんショックを受けた覚えがある。友達のところで初めて見たベータのビデオデッキは、再生ボタンが名刺ぐらいの大きさで、両手を当てて体重をかけないと押し込めないシロモノだった。巻き戻しの機能はついていたが、あまりにも速度が遅いので、テープを取り出して、鉛筆をローラーに差し込んで、手で巻き戻した方が早かった。

分かっている。今のパラグラフに「ラジカセ」「ベータ」「シロモノ」というだいぶ死期の近づいた言葉が入っていることも。また、こういった言葉を親に尋ねて、その度に「そんなことも知らないの?」と驚かれるのがうざいので、わざわざ十代のみなさんが尋ねないことも。

ぼくが三十五年前、「サッカリン」「大八車」「ミゼット」「チンチン電車」などの言葉を親に尋ねた時でも同じ反応だったので、気持ちは分かっているつもりだ。――ただ、これは決してバカにして驚いているわけではないのだ。今、若者のみなさんにとって三十年後というのは、ドラえもんが発明されるくらい先の未来だと思うけれど、四十代以上にとっての三十年前というのは、先週のちょっと前ぐらいの感覚なので、「ベータ」も「VHS」も「ワープロ」も「MD」もなくなってしまったことがあまりに不思議なだけなのだ。(よく考えると、最後のやつだけはそんなに不思議でもないかもしれない。)

それでもすべてが消えていくわけではない。今でも「チャンネル回して」とぼくはたまに言ってしまうが、それでも割と違和感なく通じてしまう。「電話をかける」もおそらくは最初、受話器が壁にかかっていたからではないかと思うが、もう当たり前の動詞として定着したようだ。「暖房点けて」も、マッチで火を点けていた時代の動作が残っていたのだろう。「電話」という聞き慣れた単語でさえ、当初は「電信で話す」ということを縮めたものだと思われる。「電信」はさらに「電気の信号」という原始的な科学の基礎まで戻らないと、その生まれた過程が分からない。

遡っていくと、ほとんどの言葉はそうして最初見たままの形から付けられるが、時代と共に余分なところがそぎ落とされて、言いやすくて愛される言葉のみが辞書に残っていくのだろう。

そのものは残っているのに、呼び方が消えたものもある。「ホームページ」「マイコン」「オートバイ」などは出た当初に慌てて付けられたが、どうにも響きが悪く、使いにくいので、後にさりげなく「サイト」「パソコン」「バイク」などにあらためられている。この類の、最新のものになりそうな気がしているのが「スマートフォン」だ。このどう考えても間の抜けた名前が生き残るとは思えない。さらに省略形の「スマホ」に至っては、言う度になんとなく腹から力が抜ける感じがする。非常に効きの悪い薬物のような名前だ。

どこかの会社がより良い名前を思い付くまでは、しばらくこの言葉を小説の中で書くのを避けた方が良い気がしている。なぜなら十年後にこんな会話がどこかの家庭で交わされるところが目に浮かぶからだ。

子供「母ちゃん、このスマホっていうの何? 外国製の靴か何か?」
母親「そんなことも知らないのかい? まったく最近の子は――」
子供「うるさいな、もういいよ。それよりいい加減、そのMDっての捨てろよ」

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