「爽健美茶の陰謀」
考えてみれば、ぼくはもともと爽健美茶が好きではなかった。
初めて飲んだのは大学の時だったと思う。緑茶の味を想像しながら飲んだからだろうか——思わず吹き出しそうになった。友達が「エビだと思って食べると、かにってまずく感じるぞ」と言っていたが、たぶん同じ原理だと思う。緑茶を想像して飲んだ爽健美茶は異様な味がした。なんだ、こりゃ。ともうろこしの汁みたいな味がするぞ、と思って、それ以来長らく一度も飲まずに生きてきた。
それから過ぎること十年以上。爽健美茶を頑なに避けてきたぼくだったが、つい先日近所の大型スーパーマーケットで買い物をしている時だった。その日、朝から忙しくて、喉が渇いているのにお茶を飲む機会がないまま走り回っていたので、すっかり喉がカラカラになっていた。どこかで自動販売機を見つけたら何か買おうと思いながら、長ネギがはみ出したレジ袋を持って、駐車場へのエレベーターに乗り込んだ。
初めは一人だったが、駐車場のある五階まで上がるうち、途中の階で親子三人がエレベーターに乗り込んできた。子供は小学生ぐらいの男の子で、手にはペットボトルを持って、それを勢いよくグビグビ飲んでいた。水分が喉に落ちて行く音を聞くと、狂おしい気持ちになったが、それが爽健美茶だと知って少し気が楽になった。子供なら子供らしくドクターペッパーでも飲め、という偏見と邪念に満ちたことを念じながら、エレベーターの壁にもたれかけて我慢した。
すると、ごくごくおいしそうにペットボトルを傾けて飲んでいた男の子は「ぷはっ」とやったあとに、両親の方にボトルを向けて「爽健美茶ってすげえな。こんなにおいしいのに体にもいいんだぜ!」と元気に叫んだ。それはもう満面の笑みを浮かべて。そして、さらにぐびぐびと、爽健美茶を飲み干していく。
家族が四階で降りて行ったあと、ぼくはエレベーターの中で一人、混乱していた。なんだ、今のは? もしかしたらコカコーラ社の回し者か? と、思ったが、すでに手遅れだった。もう、頭の中から昔の爽健美茶の悪いイメージは根こそぎ消えていて、さっきの子供のぐびぐびぐびというお茶の音と、満足げな笑顔だけが頭に焼き付いていた。
果たせるかな、駐車場でエレベーターの扉が開くと、狙ったように目の前にコカコーラ社の自動販売機があった。しかも、その上段にはなぜか爽健美茶が二本、燦然と並んでいる。逆らえなかった。もはやどうしようもなく爽健美茶を飲みたかった。飲んだら負けだという気がしたが、もう負けてもいいと思った。
『爽健美茶ってこんなにうまいのに、体にもいいんだぜー ぜー ぜー』
と、子供の言葉に頭の中でエコーがかかって響く。気が付くと、ガシャンと爽健美茶が取り出し口に落ちる音を聞いていた。十年ぶりの爽健美茶。そんなにうまいものだったか、これは?——と、信じられない思いでそれを手に取った。その場でボトルを開け、さっきの子供と同じようにぐびぐび飲んでみた。
うまい。うまいじゃないか、爽健美茶。子供の言う通りだ! こんなにうまいのに、体にもいいんだぜ!
以来、悔しいが、時々爽健美茶を買うようになった。今日も一本、爽健美茶を買った。だいぶあとで冷静になって考えてみると、あれはやはりコカコーラ社の陰謀だったような気がする。きっと日本全国津々浦々の大型スーパーのエレベーターには各一人ずつあの男の子が配置されていて、一日に二百回ぐらい、ぼくのように喉の渇いた憐れなターゲットを狙っては、あの台詞を言っているのだと思う。だからくれぐれも気を付けてほしい。
一人でエレベーターに乗っていて、爽健美茶を持った家族連れが入って来たら、耳を塞ぐのだ。(確か、男の子はオレンジ色のジャンパーを着ていたので、それを目印にしてほしい。)それでも、おそらくあなたは彼の術中に落ちてしまうだろう。あのぐびぐびと笑顔はそれほどに強力なのだ。そして、あなたがそうしてエレベーターで駐車場に向かっている間、きっと上ではニヤニヤ笑みを浮かべたコカコーラ社の販売員が、自動販売機に爽健美茶を大急ぎで補充している。
そう。こんなにおいしいのに、爽健美茶は体にもいいのだ。