パイポ

ねこを飼うなまけもん

なまけもん13

「なまけもん」tt-webから大好評無断転載中。
猫と遊んでるところはあすナロ日記で。

本日のワンパラ(09/12/19)

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「550トンの衝撃」

 ぼくは胸がドキドキしていた。
 もう明日の朝には何もかも終わっているのだ。決して来ることがないと思っていた未来が、すぐ目の前までやってきていた。為す術もなく近付いてくるその最後の瞬間に向けて、ただただ無力に待ち続けるしかない。その時のぼくは他のことが何も手につかなかった。
 今日はコンバトラーVが最終回なのだ。
 最初に知った時は衝撃的だった。たしかに数回前の放送から少しおかしな感じは受けていた。普段は絶対起きてはいけないことが次々に番組の中で起こっていく。前回ではついにコンバトラーVの基地である南原コネクションが爆発。ぼくはテレビの前で口を開けっぱなしにして、その様子をただ茫然と眺めた。そんなはずはない。南原コネクションがなくなるなんてあり得ない。今まで何度もピンチにあったけど、そのたびに切り抜けてきたじゃないか。ただ、そう心の中で繰り返していた。
 たたみかけるように、放送の最後に告げられた衝撃の言葉:「次回、感動の最終回!」
 ぼくはテレビの前で放心状態になった。
 しばらくして、台所で夕ご飯の後片付けをしている母親のところに行って、壁に力なくもたれかけた。母親はまさか息子が人生最大の絶望を抱えて後ろにいるとは夢にも思わず、家事をしていた。
 コンバトラーVは終わらないものだと思っていた。
 ぼくが大人になるまで当然ずっと続くものだと思っていた。これからも毎週毎週コンバトラーVを見ながら、ぼくは大人になっていく。そう信じていたのだ。
「ママ。コンバトラー終わるって」
 ぼくは皿を洗っている母親に言った。言葉に出すと、堪えていた涙が少しこぼれた。
 でも、母親はそれに気がつかなかったようで「あ、そうなの。残念ね」とだけ、なんでもないことのように返事をした。大人にとってはコンバトラーVが終わるなんてなんでもないことなんだ。それが分かって余計にショックだった。
 人生で最初に憶えた歌はコンバトラーVの主題歌だった。音楽の素養がない家に育ったもので、小学校一年に上がるまでレコードの存在すら知らなかった。だから親友のタケラに小学校の登校路で一小節ずつ教えてもらった「コンバトラーVのテーマ」が初めて「歌」という存在に触れた瞬間だった。学校で辛いことがあっても、友達とケンカをしても、コンバトラーVがあれば平気だった。
 あと一週間後。一週間後が来たら、ぼくはもう二度とコンバトラーが動くところを見られなくなる。それは日に日に実感を増して襲ってきて、どうにかできないものかと人生で初めて本気で悩んだ。そして、考えた末、ぼくには何一つそのことを止める方法がないことを思い知らされて、やはり人生で初めての無力感に苛まれた。
 結局唯一思いついたのが、父親のスピーチ録音用のテープレコーダーを貸してもらって、それでコンバトラーVの最終回を録音することだった。それまで何かをまじめに練習などしたことのないぼくだったが、その一週間は何度もテープレコーダーの録音に失敗しないように、必死に特訓した。テープの録音ボタンを押してから何秒後に実際に録音が始まるか、感覚で分かるまで何度も練習をした。でも、練習をすればするほど、コンバトラーVが本当に終わるのだということをただただ、余計に思い知らされるだけだった。
 最終回当日は学校でもコンバトラーのことばかり考えていた。筆箱にコンバトラーVのイラストが描いてあったので、ずっとそれを眺めていた。本当に――本当に今夜、コンバトラーVが終わるのだろうか。そんなとんでもないことが起きるのに、なんで世界は少しも変わりなく動いているのだろう。あたりまえに授業をする先生たちも、すでに次の番組を楽しみにしている同級生たちも、みんな信じられなかった。彼らは分かっているのだろうか。コンバトラーVは今日でもう見られなくなるのだ! それがどんなに恐ろしいことか、なぜ誰にも分からないのだろう。
 夕飯を適当にすませ、コンバトラーVが始まる一時間前にはもうテレビの前に座っていた。いつもなら六時台はあまり好きなものをやっていなかったので、テレビをつけっぱなしで寝転んで漫画を読んだりしていたが、今日はずっとテレビの前に座っていた。なぜか自然と正座をしていた。
 いよいよ直前の番組が終わって、提供のテロップが流れ、CMが始まった。あと二分。あと二分後にぼくの最後のコンバトラーが始まる。泣きそうになったけど、そんな余裕はなかった。一秒でも見逃すまいと、ぼくはテレビに至近距離まで近付いて、テープレコーダーのスイッチを入れた。もしかしたら涙を死にものぐるいで我慢したのも、その時が初めてだったかもしれない。
 コンバトラーVが終わるぐらいだから、もしかしたら、すべてのことはいつか終わるのかもしれない。
 ふと、番組が始まる刹那、そんなことが頭をかすめた。今まで考えたこともなかったけれど、もしかしたらぼくが永遠に続くと思っているこの「小学生」という時間もいつか終わりが来るのかも知れない。とても信じられないけど、近所をよく歩いているあの黒い制服姿のお兄さん、お姉さんたちと同じ服を着て、歩く日が来るのかもしれない。女子に興味を持ったり、泳げるようになったり、父親よりも背が高くなったりする日が来るのかも知れない。それはあまりにも途方もない考えで、想像すら難しかったけど、半年前にコンバトラーVが最終回を迎えることだって、やはりぼくには想像できなかったはずだ。
 CMが終わった。
 おもむろにオープニングの「V、V、V、ビクトリー」が流れ始めたので、ぼくはすべての思考を振り払って、テレビに集中した。今はいい。今は先に広がる未来も、これから先のこともどうでもいい。今はコンバトラーVの最後を目に焼き付けておくのだ。——もしかしたら、いつかこんなこともみんな笑い話になるのかもしれない。でも、今はとても信じられない。胸が締め付けられる。ほおがひきつる。コンバトラーVが終わってしまう。
 ぼくの大好きなコンバトラーVが終わってしまうのだ。

本日のワンパラ(2009/12/16)

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「遺伝子レベルの誤解」

 この季節になると、毎年必ず女性のみなさんに提案したくなることがある。もしあなたが三十代以上の男性で、特に既婚者なら、きっと今、同じことを思っているはずだ。

 クリスマスはいい。もちろん日本人の若者の多くがイエスキリストをパンクロックのバンドだと思っていることを差し引いたとしても、クリスマスはいい。楽しいし、お祭り気分になるし、一年のしめくくりが始まった感を与えてくれる。きれいなイルミネーションを無料で見られるのも悪いことじゃない。

 問題はあの「プレゼント」という悪しき習慣だ。あれがどうにも我々男性には解せない。
 女性に「何が欲しい」と聞くと、「なんでもいいよ」「何もいらないよ」と必ず答えるのに、それを真に受けて自分が心からいいプレゼントだと思っている「電動ドリル&ドライバー92点セット」を贈ったら激怒されるのだから意味がわからない。「なんでもいいよ」と言ったではないか! ましてや「何もいらない」を真に受けて、クリスマス当日に一日中プロ野球の中継をビール片手に見ていたら、それが元で離婚になったりするから実に不可解だ。
 男性というのは誓って言えるが、遺伝子レベルに「プレゼント」「誕生日」「おしゃれ」「インテリア」「掃除」というのがどれも存在しない生き物である。男性が生まれつき持っている遺伝子レベルの知識は「ゲーム」「酒」「好きなプロ野球チーム」と「何も着ていない女性への興味」だけである。

 十数年ぶりに再会した男性同士の会話を聞いたことがありますか? 女性同士がもし十数年ぶりに再会したなら、それはもうさぞかし感動的な一瞬になることでしょう。「元気だった−!?」「変わらないわねー!」熱い抱擁の後、きっと今のお互いの家族構成や、子供の写真などを交換して、若かりし日の思い出話などに花を咲かせるはず。しかし、典型的な男性が十数年ぶりに再会した場合の会話はこんな感じである。

A「よう」
B「よう」
A「ところで、FFの新しいの買った?」
B「ああ。おれまだPS3買ってないんだよ」
A「おれもなんだよ」

 AとBは大学時代に一緒に二年間大学に通い、お互いの家に毎週のように泊まっていた仲で、互いの結婚相手とも面識があり、年賀状では子供の写真も交換している。しかし、彼らが最初に会った時にする会話——それは所詮ゲームの最新作の話で、しかもここでは割愛しているが、このあと二時間、この話が続く。これが男性という生き物の本質なのだ。

 女性のみなさんには冷静に考えてみて欲しい。本当にこんな生き物に「繊細で愛情に満ちあふれた、感動的で、それでいて適切な値段のクリスマスプレゼント」など買ってもらうことを期待するべきだろうか。男性が「繊細なもの」といって思い浮かべるのは、流体軸受けの2.5インチハードディスクである。「感動的なもの」と言われて思い浮かぶのはワールドシリーズのバックネット裏のチケットだ。「愛情に満ちあふれたもの」なんて注文をしたら、それはもう、犬に「もっと金目のものをくわえてこい」と命令するようなものである。

 こんな生き物に指輪とか、ドレスとか、そういう複雑なものを期待するのはいい加減やめようではないか。どうせ指輪はドクロが彫られたものを贈られるのが落ちだし、ドレスは紫のシルクにラメの入った七色の星が全身にちりばめれたものになるに決まっている。しょうがないのだ。我々男性はすべての美意識を仮面ライダーとロボットアニメから学んでいるのだから、指輪でも財布でも、押すと飛び出す仕掛けがいくつついているかでしか、価値が計れない。典型的な男性が着けている腕時計を思い出して欲しい。そう。あのごてごてといろんなスイッチがついた自爆テロの時限装置みたいなあれだ。信じられないかもしれないが、あれは男性は好んで買っているのだ。なぜなら、あれは外観が:

1、車の計器類に似ている
2、使う必要のない装置が20種類以上ついている
3、名前がロボットの必殺技に似ている
4、なんとなくどこかを押すと変身できそうな気がする

 仮にその腕時計に時間を表示する機能がなかったとしても、おそらく大半の男性は気にも留めない。それよりも0.00001秒まで正確に測れるストップウォッチが着いている方が大事なのだ。もちろん0.00001秒を測る必要があるのなんて、分子レベルの核融合実験中の科学者ぐらいしかいないだろう。でも、関係ない。大事なのは「おれのストップウォッチはあいつのストップウォッチより性能が3桁多い」ことなのだ。

 だから、もしあなたの愛する男性がクリスマスにパソコンのRAMを二枚買ってきて、「これでメモリがMAXになるよ」などと言ったとしても、その離婚届にハンコを押すのをちょっと待ってあげてほしい。きっと彼なりに考えた末の事なのだ。もちろん考えていたのは通勤電車で最新のRPGのレベル上げをやりながら、iPodで「サイボーグ009」のオープニングを無限ループで聞いている間かもしれない。でも、それが彼の「思案」の限界なのだ。そんな生き物とあなたは生涯連れ添うことを約束してしまったのだから、ここはもう素直にあきらめてほしいと思う。
 ただ、どうしても納得がいかなかったら、まあ、その時は昨年もらった電動ドリルが初めて役に立つかも知れない。

大好評の「あすナロ日記」

猫と眠る

ある日、イラストレーターTさんのところに縁あってやってきた野良猫のナロ。
なぜか「母性」本能が目覚めてしまい、ナロの愛くるしい一挙一動に翻弄されるTさん。
Tさんの楽しいマンガと、Aさんの優しい写真で綴る、大人気の新ブログ「あすナロ日記」

注意:ねこ好きの方は悶絶しますので、どうか健康に障らない範囲でご覧ください。

ナロ

「はじめまして。ナロです」

本日のワンパラ 2009/12/6

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「誰かあの中身を」
(2007/08/29のmixiの日記より転載)

実は前から大変気になってました。

たまに駅で歩いていると、ズボンの股下がひざのちょっと上ぐらいまで下がっている男(たいていちょっとヒップホップ気味)と擦れ違います。普通のズボンでこれだとベルトラインはちょうど股間のあたりに来ているはずなので、シャツの裾をめくればパンツ丸見えになるはずだと思うのですが、実際はどうなってるんでしょうか。普通に考えたらあの位置だとよっぽどきつくベルトを締めないと、すぐにずり落ちてきそうですが、逆にベルトを強く締めたら歩けなくなると思うのですが……もしかしたらベルトから股下までが恐ろしく長いのでしょうか。女の人と違ってヒップで支えるってのも難しいと思うし、サスペンダーででも吊っているのだろうか?
考え始めると、夜も眠れません。

たぶんあり得る二十年後の高校生の会話:

高校生A「(今の時代の写真を見て)この人、なんかズボンずりおちてるんだけど。」

高校生B「それ、そういうファンションらしいよ。流行ったんだって。うちの親が言ってた。」

高校生A「いや、これファッションじゃないでしょ。ずりおちてるだけだよ。トイレで上げ忘れたんだって。あり得ないって。」

高校生B「いっとくけど百年前はちょんまげ結ってた国だからね、ここ。」

ほたるの群れ・次回予告

どてら猫

童話物語 幻の旧バージョン

ほたるの群れ アニメPV絶賛公開中

作者公式サイト

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