パイポ

ごくちゅー日記、更新!

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四巻発売前、最後のごくちゅー日記の更新です。
すべては二年前のあの日に始まりました。webマガジン幻冬舎でご覧ください。

ねこうた 138

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特別寄稿文「まだ窓の外を見ている(後編)」

実家に二年ぶりに帰った先週、なんとなく部屋の窓を見ながら書いた文章です。
昨日の(前編)を読んでいない方はぜひ前編からどうぞ。前編としっかりつながっているので、前編から一気に読んでもらうことをおすすめします。

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【まだ窓の外を見ている(後編)】

 中学校の卒業式が三日後に迫った頃、ぼくはまだ必死にワープロに向かって、小説の最終回を打っていた。友達と別れる寂しさに圧倒され、何かに取り憑かれたように寝ず、飲まず、食わずで最終回を書き続けた。書きながら中学三年間のことが頭を駆け巡って、ずっと複雑な気持ちでキーボードを叩いていた。最後の行を書き終わった時、これでもう続きはないのだと気が付いて、布団の中に潜り込んで、丸まって泣いた。まるで一番大事なものを、自分で壊してしまったような気分だった。小説も、中学校も終わってしまう。——予想もしていない感情だったために、自分でも戸惑った。全部書き終わったら大きな満足感を得られると、中学三年間、ずっと思ってきた。でも、実際に終わってみると、残ったのは奇妙に空っぽな感じのする寂しさだけだった。
 結果的に、その最終回で初めて友達に小説を誉めてもらった。不思議に、その時は逆にどんなにけなされてもいいと思っていた。そんな素直な気持ちになれたのは初めてだった。——しばらく経って、きっとそれが「全力で何かをする」ということなのだと気が付いた。自分でここが限界、と思うまでやったことは、逆に人に批判されることが怖くなくなるのだと分かったのは、すごい発見だった。ただ、その「限界」は本当に限界までやらないといけないということも、この時、身に染みて分かった。
 こんなように、永児たちには数えられないほどたくさんのことを教えてもらった。この時にやった「脚本から文章を起こす」スタイルの書き方は今でもまだやっている。下書きの段階で何度も書き直すことも、この時、当たり前になった。誰かに「面白い」と言ってもらえることの喜びも、「面白くない」と言われることの悔しさも、彼らから存分に習った。——そうしてたくさんのものを与えてくれたあと、永児たちはぼくの元から去って行った。
 ……はずだった。
 それから三十年が経った今、すっかり様変わりした自分の実家の部屋で横になっている。あの時に部屋にあったものはもうほとんど何も残っていない。古いテレビが最初に捨てられ、錆びた金属製の本棚が消え、大きな事務机も東京に行く時に処分した。本棚の古い漫画は箱に詰められ、ボロボロのカーペットは剥がされて、今では床はフローリングに変わっている。後生大事にしていたあのワープロさえも、惜しみつつ、2007年についに処分した。
 変わらないものといえば、ただひとつ。この窓から見える風景だけだ。これだけはあの時見ていたものとほとんど変わらない。こうして同じ角度から窓の外を見ていると、束の間、中学生だった時の純粋な気持ちや、まだ見ぬ未来に向かって行く果てしない情熱を思い出すことができる。あの時、確かにぼくはこの部屋で高塚永児と小松嬉多見と共に時を過ごした。それほどはっきりと、側に彼らを感じていた。
 たくさんの時間が過ぎて、世界は驚くほどの変化を遂げ、元号が変わって、世紀も変わった。それでも、どういうわけか永児たちだけはいつまでもぼくの心のどこかに残り続けた。人生のことあるごとに、彼らのことを思い出しながら生きてきた。——今もあの中学に彼らはいるのだろうか。そして、今もぼくが帰ってくるのを待ち続けているのだろうか。時々夜中に夢の中に永児たちが出てきて、ぼんやりと朝、窓から外を見ることがあった。
 もう一度永児たちの物語を書きたいという気持ちはずっとあった。でも、何しろ元があまりにも荒唐無稽な物語だったため、大人の作品として書き直すのは難しいだろうと考えていた。それでも時々思い出しては試行錯誤をして、少しずつ物語の外郭を入れ換え、あり得ない部分を削り取り、気が付くと三十年の間にそれなりにまとまっていた。数年前に某携帯サイトから小説の連載の話をいただいた時、とっさに「こんなのがあるんですけど」と半分冗談のつもりで永児たちの話を切り出したところ、意外なほどあっさりと「それでいきましょう」ということになって、逆にぼくの方が戸惑ってしまった。
 そんなこんなで、四半世紀ぶりにまた、永児たちの物語を書いている。一行目を書いた時、「久しぶりですね」と喜ぶ永児の声が聞こえた気がした。懐かしい中学の門をくぐると、そこにはあの時と変わらない永児たちが待っていてくれたのがうれしかった。
 こうして窓の外を見ながら、三十年前には想像もできなかった四十代の自分を鑑みると、人生の不思議さを否が応でも感じてしまう。ぼくのつたない小説を読んでくれたみんなは、いつの間にかバラバラになって、日本中——あるいは世界中に散り散りになってしまった。でも、今でも読み続けてくれている人も何人かいる。
 部屋の隅に目をやると、そこに永児や喜多見たちが相変わらず座っている。八十年代よりはちょっとおしゃれになって、携帯電話を持ったり、前より深刻なことで悩んだりしてはいるけど、同じ永児たちだ。
 それはぼくも同じだ。少しは見た目に気を使うようになって、携帯電話を持ち、中学生の頃よりいくらか深刻な悩みが増えた。——もう、天井のタイルの模様を数える時間はない。部屋も言われなくても片付けるようになった。
 あの時、四話を返しに来てくれた名前も知らない後輩の女の子に、今ならごまかさずに言えると思う。きっと人生も物語も、一緒だ。
 続きはある。——いつだって。

2012. 9. 23
初秋の下関にて
向山貴彦

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(寝転びながら撮った実家の部屋の窓)

ほたるの群れ4巻、表紙公開

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「ほたるの群れ」公式サイトの情報欄を更新しました。四巻の表紙、本邦初公開です。
一応、発売まで見たくない、という方のために、こちらのページには発売後まで掲載しませんので、先に見たいという方だけどうぞ公式サイトの方へ。
座談会の時に「全キャラの中でもっとも描くのが難しいのは会長」と答えていたひらの渾身の一枚です。

特別寄稿文「まだ窓の外を見ている(前編)」

 先週、二年ぶりに下関に帰って、久しぶりに自分の中学生時代の部屋にぼんやり座っている時、久しぶりにここで何かを書いてみようと思い立った。ご存知の方もいるかもしれないが、現在刊行中の「ほたるの群れ」は元々中学時代にその部屋で書いた小説が元になっているため、不思議な既視感を覚えていたのかもしれない。そうしてなんとなく書き出したエッセイのような、日記のような変な文章が案外長くなってしまったので、前半と後半の二回に分けて、カウントダウン初日の今日と、二日目の明日に亘って掲載してみようと思う。
 多少感傷的になっているのは、三十年前、必死に小説を書いていた十代の自分の幻影が目の前にいたためで、できたら大目にみて欲しい。

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【まだ窓の外を見ている(前編)】

 その日、ぼくは部屋のベッドに寝転んで、窓から外の空を木の枝越しに見ていた。
 日曜日。中学校が休みで、朝からすることがない。もちろん宿題は溜まっていて、手伝った方がいい家事は家の至る所にある。でも、ぼくは中学三年生の男子で、中学三年生の男子は後回しにできることはどこまでも後回しにするものだったので、その時もただベッドに寝転んでいた。
 家にある漫画は妹のものまで含めて、少なくともどれも十回は読み返している。七時まで見たいテレビもない。友達と遊びに出る約束もしていなければ、そのための小遣いも残っていない。仕方がないので、寝転んでじっと天井を見ているしかなかった。天井のタイルの模様は数えられるような形ではないのに、それでも枕の上にあるタイルだけは何度か数えていた。大小併せて模様は347コぐらいだったと思う。あの頃はそのくらい暇だった。
 ぼんやりと天井からまた窓の外へと視線を移す。風通しのために開け放たれた窓の外から、蝉の鳴き声と、近くの学校から届く部活の音が響いている。でも、何を言っているのか聞き取れるほど大きな声ではない。その遠い音を聞いていると、自然と自分も意識が学校へと引き戻されていく。ただ、学校と言っても、毎日通っている学校ではなくて、校舎も教室もまったく同じだけど、違う学校だった。ぼくの頭の中だけにある、もうひとつの学校だ。
 そこに高塚永児という少年と、小松嬉多見という少女が通っている。制服も上靴もぼくと同じものを身につけていて、クラスも同じ教室だけど、彼らはぼくにしか見えない。中学一年の時に一緒に学校に入学して、それ以来、一緒に年を取って、今は二人とも中学三年になっていた。
 一日の最大のハイライトが「あらくんと小黒板でお互いの頭を殴り合う」ことであるぼくと違って、彼らの中学生活は実にエキサイティングだ。殺し屋に襲われて、いつも町中や校内を逃げ回っている。彼らはぼくができたらいいなと思っているような恋愛も、冒険も、みんなやっている。そして、ぼくが簡単に屈してしまうような大人たちにも、決して屈することなく立ち向かう。
 台所から声。母ちゃんだ。部屋を片付けろとのお達し。束の間、現実に引き戻されて、ベッドから半身を上げて台所に叫び返す。「やってる!」――もちろんまったくのうそである。母ちゃんだってそれは分かっている。そうしてまた寝転がり、窓の外を見て、部屋の片付けが最大の試練であるぼくのつまらない日常を振り払うように、現在第九話(クライマックス直前)にいる永児たちの活躍へ思いを馳せていく。卒業まであと半年。卒業式までには最終十二話を書き上げないと、学校にそれなりにいる「読者」に申し訳がたたないので、そろそろピッチを上げないといけない。
 ただ、最終回でやろうと思っていることは決まっているのに、そこまでどうつなげていいのかが分からなかった。誰に聞いてもそんなことを教えてくれる人はいない。試しに国語の先生に「どうやったら壮大な感じの話になるんですか?」と聞いてみたが、国語の先生の返事は「いいから漢字テストの予習やれ」だった。
 仕方なく、自分一人で窓の外とにらめっこをして、とにかく考えるしかなかった。——どうすればもっと面白くなる? いつも読んだあとに「まだまだだな」と言い捨てるせヴんの鼻を明かすにはどうしたらいい? どうしたらぎゃふんと言わせられるほど面白くできる? そもそもぎゃふんって言う人間が本当にいるんだろうか?
 どうせ身内のせヴんや林の感想なんてどうでもいいのだ。確かにちょっと的確なことを言うのでいらっとくる時もあるが(例:「なんで雨降ってるのに誰も傘さしてないんだよ」)、あいつらの言うことなんて、所詮ただのいやがらせに決まっている。その時のぼくは連中の言うことなんて気にもならなかった。——何しろ先日、長いこと学校内で行方不明になっていた四話を、急にまったく知らない二年生の女の子が教室に返しに来てくれて言ったのだ。
「面白かったです。続きないんですか」
 あれに比べたら奴らの感想など、食べ終わったポテトチップスの袋の底に残る破片みたいなものだ。何しろ、後輩のかわいい女の子にウケたのだ! いや——ずっと斜に構えていたので、顔は見ていなかったのだが、あんなことを言う子はかわいいに決まっているのだ。
 そうだ。こんなところで窓の外を見ている場合じゃない。早く続きを書かなくては。カレンダーに自分で決めて書き込んだ九話の〆切までもう一週間もない。——中学生はこういう時、いきなり気持ちが高ぶるから便利だ。
 よっと体を起こして、机に行って、今までの貯金全額+三回分のお年玉+一年分の小遣いを前借りし、それでもお金が足りなくてベスト電器で店員に泣き付いてまけてもらってやっと買うことができた、当時ではまだ珍しい日本語ワープロに向かう。
 表示部の液晶が六文字しかない上に、記憶装置が一切ないので、電源を落とせば打ったものは全部消えてなくなるすごいワープロだったが、それでもぼくにとっては宝物だった。その前に座ると、すっかり「作家」気分になる。作家はやはり執筆中はコーヒーを飲むべきだと思ったが、我が家は子供はコーヒー禁止だったので、仕方なく麦茶を温めて、砂糖を入れてコーヒーだと思い込んで飲んだ。
 打ち始める前にインクリボンの残量を確かめる。とにかくリボンは高い。もうしばらく新しいのを買う余裕はなかった。しかし、こういう時のために、今まで使い終わったインクリボンは全部ティッシュの空き箱に取ってあって、全部ペン先で強制的にリボンを巻き戻している。下書きならこれを再利用すれば、若干文字は霞むものの、十分に読めるのだ。
 机の引き出しからキャンパスノートを取り出す。表紙には「3-9 向山 技術」と書いてあるが、技術科でノートなんて使うことはないので、一冊まるまる余ったものを小説の下書き用に使っていた。前回まで下書きしたところをノートの中から見付けて、推敲しながらそれをワープロに打ち始める。一話を書いている頃は行き当たりばったりで書いていた。それが三話ぐらいなると、書き始める前に全体を考えるようになった。五話を過ぎると、書いたあとにところどころを書き直すようになった。六話では一回下書きをしてから、それを元に清書をするようになり、七話ではその下書きの回数が二回になった。八話で初めて先に脚本を書いて、そこから文章を起こすことを試みた。どの回も勉強だった。でも、頑張れば頑張るほど読んでくれる人が増えたので、否が応でも頑張るしかなかった。
 ワープロで印刷した原稿を渡すようになってから、みんな以前よりまじめに読んでくれるようになっていた。でも、ワープロは電源を切る前に印刷した原稿をうんと読み返して、絶対に間違いがないことを確認しないといけないので大変だった。何しろ間違いがあったら全部打ち直しだ。しかも、もし行がずれたりしたら、そのあとのページも全部打ち直しになる。手間はもちろんだったが、それ以上にリボン代を工面する宛がなかった。だから、電源を消す時はいつも少し手が震えた。
 窓から風が入ってくる。廊下の向こうから母親の「片付けてるのー?」という声が響いてくるが、もうそれも耳に入らない。ぼくはワープロに向かって、パチパチとキーボードを打ち始める。頭の中は部屋を離れ、架空のもうひとつの中学校へと飛んでいく。もう現実のことは何も関係ない。退屈な毎日も遠くなる。夕飯までは、殺し屋と思う存分戦うのだ。

(後編につづく/明日更新)

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(その当時使っていたワープロの在りし日の姿)

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