この世には、万物を知る場所がある。そこへ行けば、この世の全てを知ることができる——
物語っぽいそんな話は、今や現実となりました。電子の海のまっただ中、というかむしろ海そのものが、現代では「万物の図書館」として活用されています。大方人類が知る必要のあることは、検索すれば基本的には手に入る。本当にすごい時代です。
おまけにスマホというものまで発明されてしまったので、片手でググれば超ひも理論の最先端論文から、あじフライをしょうゆとソースどっちで食べるのがメジャーかまで、瞬時に知ることができます。(ちなみにタルタル派です。)
作家:向山貴彦に関しても、検索すればまた、知ることができます。しかし彼が氷の生食に執念を燃やしていて、マクドナルドで「オレンジジュース、ジュース抜きで」と注文して本気で引かれていたことなどは書かれていません。同様に、回転寿司の初手定番がゲソにぎり(タレ派)だったことなども載っていません。理由はというと、きっと「知る必要がないから」だろうとは思いますが。
でもそんなwikiに載っていない、向山本人による自己紹介を発見しました。前半だけの未完成な状態ですが、ご覧下さい。
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Wikiも知らない自己紹介 文:向山貴彦
ぼくは親の都合でアメリカのテキサス州というところで産み落とされまして、七歳ぐらいまで向こうの小学校に普通に行かされていました。
正直、この時、自分が日本人だという自覚はほぼ皆無だったのですが、ある時、親が急に日本に戻ることになり、はじめて自分がアメリカ人でないことを知ります。
マックもないような国に行くのはいやだ!(当時)とごねた幼いぼくを知り尽くしている母親は親戚に頼んで、日本のお菓子(主にあられ)とゲッターロボの漫画を送ってもらいました。
この二点だけであっさりぼくは陥落。速攻でアメリカを捨てて帰ってきました(笑)。
その後、山口県下関市に住んで、最初はまともに日本語ができなかったのでちょっと外人扱いされて凹んだりしながらも、友達の愛の鞭(笑)を食らいながらなんとか日本社会に溶け込みました。
そのあとも親の都合で夏だけアメリカで生活(家のない、車で放浪する生活。マクドナルドの駐車場が宿泊所でした)、岩国の米軍基地の学校にたたき込まれる、などの仕打ちを受けた末に「ほたるの群れ」のモデルになっている山の中学校に無事入学。だいたいスタジオの男子メンバーはみんなこの時の同級生です。(女子とはこの時まだ仲良くする術を知らない素朴な田舎物だったので。)
中学二年の時に腎臓病になって、三ヶ月ほど休学。
そのあと、学校が好きなものだから無理して復学。
中三まではやり抜いたのですが、高校入学後、一日も通うことなく入院。そこから二年ぐらい病院を転々としてました。
しかし、けっきょく腎臓は悪化して19の時から現在に至るまで週三回透析を受けています。
そんなわけで思いっきり遅れて21で大検を取り、23から大学に入学。年齢がまったく違う同級生という阿坂(※「ほたるの群れ」の登場人物)の感覚はこの時のぼくのものです。
で、大学に入ったのはいいのですが、学校の勉強よりも出版社のバイトや翻訳のバイトに明け暮れ、大学で知り合った宮山をそそのかし、230万も借金をして「童話物語」を自費出版しました。
この「童話物語」が正式に幻冬舎から出版が決まり、以降は、だいたい皆様の知るところです。実際公式に発表されている向山貴彦とスタジオ・エトセトラの歴史は、ここから始まっている感じです。
〜原稿はここまで〜
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本日完結したTwitter連載「金網の向こう」は、ここにある岩国基地時代の出来事が描かれたものです。大切な友人であり、ビッグ・ファット・キャットのパートナーでもあるたかしまてつを氏の色鮮やかなイラストによって、私たちはその時間について知ることができました。でもwikiには、そのことは書かれていません。
情報は大切です。それが簡単に手に入るという文化そのものも、すばらしいものです。私自身、Wikipediaに様々な局面でお世話になっています。でも、そこにはとりこぼされたものもたくさんあります。
Wikiにはまた、向山が逝去した日付なども書かれています。——でも、このことは書かれていません。肉体がこの世を去った今でも、彼はまだ連載していること。周囲の協力を得て、今日まで「金網の向こう」を発表していたこと。
Wikipediaに、みなさんに、あらゆる人に伝えたい。向山貴彦は今も、現役の作家です。そしてたかさん、本当にありがとう。
Twitter連載「金網の向こう」はこちらからお読みいただけます。