パイポ

本日のワンパラ(10/01/26)

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「ひとりきりのイルミネーション」

 夜中に目が覚めるようになったのはいつぐらいからだろうか。
 子供の頃は目を閉じて、次に目を開けると朝だった。たまに何かの間違いで目が覚めた時は、夜の天井が怖くて、すぐに布団をかぶって寝た。何しろその頃住んでいた山口の実家は、電気を消すと、本当に真っ暗闇だった。窓からかすかに漏れ混む青色の月明かりを除くと、本当に光が何もなかった。寒い冬なんかにうっかり尿意で目覚めたりしたら最悪。寝ている部屋から台所を通って、トイレまでわずかに数メートルなのに、その真っ暗な部屋を横切って、トイレの明かりを付けるまでが怖くて仕方がなかった。闇は怖い。それはぼくがかなり早い段階で習ったことのひとつだった。
 二十歳を過ぎた頃からだろうか。睡眠があまり得意でなくなった。夜中に何度も起きるのが当たり前になってしまって、一度起きるとそのまま眠れなくなることもしばしば。もう東京で一人暮らしを始めていたが、まだ闇は怖かった。今から考えると、これがかえって逆効果だったのかもしれないけれど、夜中に起きた時のことを考えて部屋の明かりを点けたまま眠るようになった。それも昼と変わらずに煌々と。起きても、ちっとも怖くない――そう思わないとよく眠れなかった。
 結婚してからはやはり奥さんの手前、再び電気は消すようになった。最初に「電気消さないと」って言われた時にはもう十年ぐらい電気を点けて寝るのがあたりまえになっていたので、「そうだね」と言いながらも、内心は不安を感じていた。何しろ寝るのが苦手なぼくは、いつも寝られなかった時に備えて、本やら漫画やらパソコンやら、いろんなものをベッドサイドに持ち込んで、とにかく眠るまで「寝る」ことを意識しないようにしていた。徐々に眠気が強くなってくると、本を開いたまま気がつくと眠っている——そんな習慣が二十代ですっかり身についていた。
 でも、久方ぶりに暗い中で横たわっていると、不思議と安心した。ぼくが覚えているよりもずっと、暗闇は優しかった。それからは毎日電気を消して寝る生活に戻ったけど、それでも相変わらず夜中に一度ぐらいは必ず目が覚める。そんな時、ノドが渇いていると、冷蔵庫に麦茶を取りにいく。寝室のドアを開けると、居間につながっている。もちろん、居間の電機も消えている。でも、真っ暗ではない。今は明かりがいっぱいあるのだ。
 テレビの主電源の赤色。マルチタップコンセントのスイッチ三つ。加湿器の「おそうじ」ボタン(明日、洗わないと)。こたつの「切」スイッチのLED。ゲーム機のうっすらと光る青色。あした朝の厳しい冷え込みに備えてセットされているヒーターの「おはよう」タイマーの点滅。
 まるで小さなプラネタリウムだ。どの機械も電源は消えている。でも、それぞれが存在を示すように小さな明かりを放ち続けている。
 ぼくは暗闇の中で麦茶を持ったまま、しばらくその真夜中のイルミネーションを見守る。ぼくだけが知っている小さな光のショー。居間の闇を優しく変えてくれる生活の跡。二十代の時は、きっとまともな生活をしていなかったから、気がつかなかった光——。暗闇は相変わらず怖いけど、暗くないと見えないものも、この世界にはきっとたくさんある。

本日のワンパラ(10/01/20)

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「永久さんなら持っている」

 日本人なら誰でも漢字の読み間違いや誤解で恥をかいたことが一度や二度はあると思う。でも、ぼくはことさらこの分野ではひどい実績の持ち主だ。
「破綻」を「はじょう」と読むのなんて朝飯前で、長年「なだれ」を「雪崩」ではなく「崩雪」と書いてきたり、「月極駐車場」を「月極(げっきょく)」という巨大な駐車場のチェーンだと思い込んだり、かなり恥ずかしい間違いをいっぱいしてきた。そんな中でも、人に話しても「いくらなんでもそれはないだろう」と言われ、ぼくのホラ話だと思われてしまうものがひとつある。あまりにも恥ずかしいので長年ワンパラでは封印してきたが、いい加減時効だと思うので、書いてみることにした。

 ぼくは中学の頃、ある時代劇の大ファンだった。ただ、時代が時代でまだ家にはビデオがなく、よほどメジャーなもの以外はムックも出ていなかったし、グッズなどは皆無だったので、いつもその番組の情報に飢えていた。そんな中、奇跡的にポスターブックが出ることになり、それはもう狂喜乱舞してその本の発売を心待ちにした。
 やっと手に入れたそのポスターブックの表紙には、こう書いてあった。
「永久保存版」
 ふつうならこれを読み間違える人などいないだろう。
 しかし、大変困ったことに、この番組の古くからのスタッフの中に「永久(ながひさ)さん」という人がいた。大ファンだったぼくは、当然スタッフの名前もほとんど記憶していたので、この表紙を見た時、とっさに永久さんの名前が浮かび、「ああ、永久さんが所蔵していたコレクションだったのか」と本気で思ってしまった。事実、永久さんは大変なベテランで、古くからテレビに関わっていたみたいだったので、なんの違和感もなく納得できるものがあった。なので、それからは毎日「永久さんありがとう」と思いながら、いつも「永久保存版」のポスター集を眺めた。
 ここまでならまだいいのだけど、何しろぼくは当時、小学生男子。知性はちょっと賢いバッタ程度しかなかったので、このあと、別のテレビ番組の本でまた「永久保存版」というフレーズを見かけ、「すげー。永久さん、これも集めてたんだ」と本気で思ってしまった。それどころか、よくよく見てみると永久さんは実にいろんなものを集めているようで、それからもしょちゅう永久さんのコレクションが目についた。——いつしかぼくの中で永久さんは世界一のコレクターのイメージにふくれ上がり、勝手に敷地面積10万坪ぐらいの邸宅に、美術館のように無数の貯蔵品がある様子を思い浮かべていた。
 その後、大人になるに従って、さすがに自分のあり得ない間違いに気がついたが、それでも数年間はずっと「驚異のコレクター・永久さん」の存在を信じ続けていた。今でも時々、どうしても見つからないレアアイテムをオークションなどで探している時、ふと「永久さんならもってるんだろうな」と思うことがある。そんな時は大邸宅で億万のアイテムに囲まれて、高らかに笑う「永久さん」の姿が鮮やかに脳裏を駆け巡るのだ。

「うさみみナース」新連載のお知らせ

うさみみナース

看護の専門誌「VIVO」23号にてたかしまてつをのマンガの新連載が始まりました。
タイトルは「ウサミミ+ナース」。ウサミミもので、ナースものです。

本日のワンパラ(10/01/07)

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「40」

 おかしい。
 何か陰謀の匂いがする。
 明らかに当局の仕業ではないかと思う。

 たしかにぼくは今年四十歳だ。でも、人前では平気な顔をしてきたはずだ。年齢の十の桁に「4」を書き込むことが怖くて怖くてしょうがないことなんて誰も知らないはずだ。小学生の頃に「四十歳」のイメージを聞かれたら、「五十や六十と変わらない」と言っていたあの人でなしのぼくをサンドバッグに入れてデンプシーロールを食らわしてやりたいと思っていることなど分かろうはずがない。

 なのに、どうやらどこかで当局に察知されたようだ。何しろ、最近ぼくの年齢を揶揄するようなものがやたらと周りで目立つようになった。たとえばこの前、車で走っていた時、いきなり道路の路面に大きな40という数字が現れた。ものすごく縦に長細く、わざわざ車で走っていても読みやすいように書いてあった。しかも、ちょっと走ると、また同じように道に40って書いてある。冷静に見るとぼくの住んでいる町は、道のあっちこっちに40と書いてあるのだ! まったく、いつの間に! ほかのみんなはまるで気がついていないように普通に真上を走り抜けているけど、ぼくの目はごまかせやしない。明らかにこれはぼくに対するいやがらせだ。

 しかも道路の脇には次から次へ「40」という丸い看板が立てられている。わざわざ赤い丸で囲んである看板だ。走っても走ってもしつこく「40!」「40!」と訴えかけてくる。いったい40がどれだけのものだというのだ。昨日数えてみたらぼくの家の周りだけでも「40」という看板が16もある。今まで気がつかなかったのが逆に不思議で仕方がない。しかも、これもみんな少しも気にしてないようなのだ。ぼくだけがこのことに気がついたのを当局が知ってしまうと危険なので、仕方なく、ぼくは毎日平然と40の数字の上を運転している。なんともない顔をして。

 はっきり言うが、ぼく自身は四十歳なんて全然気にしてないのに。まったくおかしな話だ。

 いや、ほんとに。

本日のワンパラ(10/01/02)

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「年賀状考」

 元旦。
 郵便受けを開けると、今年の年賀状。
 自分が通ってきたいろんな時期に巡りあい、離れていった人たちからの年賀状。一枚めくるごとに違う時期の自分が垣間見え隠れする。

「おっす、生きてるか?」から「おかげさまで今年も元気です」まで、とても同じ一人の人間に宛てられたとは思えないほどトーンの違うメッセージ。「向山さん」「向山くん」「向山先生」「むこちゃん」「むこやん」「貴彦くん」「テディー」「テディーくん」「アニキ」「てっちゃん」——いろんな人から見たぼくがそこにいる。みんなぼくで、全部ぼくの一部だ。
 いつも元旦にきっちり年賀状をくれる人。いつも一番最後に駆け込みで届く人。筆無精で一回も年賀状をくれたことない人。どれも性格が良く出ていて、みんなぼくの大切な人たちだ。
 いろんな理由から年賀状を出せなくなってしまった人もいる。住所が分からなくなってしまったり、残念ながら付き合いがなくなってしまったり……そして、どんなに日本の郵便局が優秀でも、もう決して配達できない場所に行ってしまった人たちもいる。

 年賀状の内容も時代と共にずいぶん変わって来た。
 つたない文字と漫画のイラストばかりだった小学校時代。どのみち毎日顔を合わせる人ばかりだったので、ギャグとしてしか年賀状を送っていなかった十代。みんな生きるのに忙しすぎて、極端に年賀状が減ってしまった二十代前半。毎年住所の変更のお知らせが多かった二十代後半。「結婚しました」のお知らせが主流だった三十前後。そして、そのあとに来た爆発的な数の子供の写真メインの年賀状。四十の今、年賀状の80%が子供の写真なのは、実に嬉しい悲鳴。
 ただ、今年からまた少し傾向が変わったことも感じている。
 今年は喪中がとても多かった。今までも喪中は必ず毎年あったものの、違っているのは、亡くなった人が祖母や祖父ではなく、親兄弟だったこと。
 きっと、また人生は大きく違うフェイズへと移行し始めているのだろう。

 このハガキの束はぼくが生きてきたことの証だ。通ってきた道の地図だ。
「年賀状なんて古くさい習慣」とバカにしていた若い時期もあったけれど、この厚さわずか1ミリのカードが、それぞれのぼくの過去から届くタイムマシーンのようなものだと気がついてから、とても大切に思うようになった。
 もう戻れない世界からやってくる束の間の邂逅。
 みんながこの世界のどこかで、今も元気に生きているというささやかな証拠。

 あけましておめでとうございます。向山です。本年もどうぞよろしくお願いします。

ほたるの群れ・次回予告

どてら猫

童話物語 幻の旧バージョン

ほたるの群れ アニメPV絶賛公開中

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